
大磯町高麗の高来神社で17日から19日にかけ、春季大祭が開催された。この祭の見せ場の1つは神輿を高麗山山頂の上宮まで人力で引き上げる山神輿という行事。17日には高麗山神輿保存会(原田勝司会長)が中心となり“神輿の登山”を行った。
同祭は元々、高麗寺の本尊の祭で江戸時代の寛永年間(1624-1645)の頃に始められたもので、山神輿は祭の中で農具や種物を扱う市が開かれていたころ、多くの人が集まる騒がしさを避けるために神社の御霊を神輿に移し、高麗山の上社まで担ぎ上げて仮宿させるようになったことがルーツとされている。高来神社は西暦717年の神仏習合により高麗寺の所管となっていたが、明治時代の神仏分離令により高麗神社として分離。その後高来神社に改称され現在に至るが、山神輿の伝統は370年以上に渡り脈々と受け継がれてきた。
17日の夕方、いよいよ山神輿がスタート。神輿は市街で担がれるものとは違い、装飾が取り除かれており、堅いケヤキ製で重さ250kg程のもの。親綱というメインの引き綱と、バランスを取る2本の横綱と呼ばれる命綱がつけられ、見物客も含めて数十人がかりで神輿を引き上げる。この日は東海大学から柔道部員を中心に27人が応援に駆けつけ見物客らと共に元々神輿の引き上げを手伝った。ルートは2つある登山道のうち、険しい方の男坂。男坂には普通に登山するにもかなりの急勾配の場所があるにも関わらず、神輿は道なりには進まず、時には傾斜60度を超える“壁”をよじ上る場面も。神輿本体に取り付く担ぎ手から「親綱緩んでるぞ!」「引けー! もっと引け!」と怒号にも似た指示が飛び交う中、神輿はじわじわと山道を登り、およそ3時間をかけて“登頂”に成功した。
原田会長は「けがもなく、思ったより順調に登れて神様のご加護があったかな」と一言。今後は「370年以上続いているお祭りだから継続のためにも後継者を育てていく」と気を引き締めていた。3日間の祭が終わる19日には、神輿はなだらかな女坂を通り麓に還御した。
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