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郷土力士の朝弁慶が新十両に約200年ぶり平塚から関取誕生

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 大相撲九月場所に西幕下筆頭で出場し、6勝1敗の成績を残した平塚市出身の朝弁慶(本名・酒井泰伸、26)が先月30日、新十両に昇進することが決まり、所属する高砂部屋(墨田区本所)では記者会見が開かれた。番付で十両以上の力士を指す「関取」が平塚市域から誕生するのは、明らかに記録に残されている限りでは、江戸時代に活躍した四之宮村出身の江戸ヶ崎(1781-1812)以来およそ200年ぶりのこと。
 この記事は湘南ケーブルテレビ局(SCN)との共同企画により制作しました。湘南チャンネル(CATV002ch)で放送中の「情報カフェ! 湘南館ワイド」では、高砂部屋での記者会見の模様が放送されます。今回の番組は10/12(月)まで放送中(12時~12時40分、19時~19時40分ほか)。
 平塚市立山城中学校出身。県立五領ヶ台高等学校(神田高校と統合、現・平塚湘風高校)在学中は柔道に励み、その道で大学進学も決まっていたが、湘南高砂部屋後援会の会長から声がかかり、入門した。誘われた時は全く経験も興味もなく断っていたが、師匠の高砂親方(元大関・朝潮)が家を訪ねてきて「柔道では食っていけない。親に楽をさせたかったら相撲で強くなって親孝行しなさい」との言葉で決心したという。
これから親孝行
 初土俵を踏んだ2007年から約8年。同期が出世していく中で焦りも感じていたが、ターニングポイントとなったのは今年の初場所での3連敗。「もう何も考えずにとにかく自分の相撲だけを取ろう」と気持ちを切り替え4連勝。結果、5場所連続で勝ち越しを重ね、関取へと昇進した。
 報告の電話では「お母さんは泣いていたと思う。涙声でうるうるしていたので僕も涙が出そうになったけど、ぐっとこらえました」。今後は「やはりこれまで苦労をかけてきたので、これから親孝行をしたい」と話していた。また、江戸時代以来の関取誕生となった故郷・平塚の皆さんへ、と聞くと、「いっぱい応援して頂ければ嬉しいです。そして、相撲も盛んになってほしいです」と呼びかけていた。なお5日には平塚市より、祝いの品として平塚産のバラが贈られた。
200年前に活躍した江戸ヶ崎
 神奈川出身の関取が誕生するのは22年ぶりとのことだが、平塚出身となると、時は江戸まで遡る。
 第10回国体を記念し刊行された『神奈川県体育史』(昭和31年発行)を紐解くと、足柄山の金太郎や曾我物語の河津と俣野などを例に挙げ「本県は相撲とゆかりの深いものを感じる」といった書き出しで始まる「神奈川県出身力士」の項に記述がある。ここには、安永・寛政時代から現代(昭和)までの江戸番付で、十両以上に出世した主なるものとして20人の力士が収録されているが、平塚市域出身者は寛政年間から文化年間に活躍した「江戸ヶ崎源弥」のみ。
 同書によれば文化元年(1804年)、関脇に昇進。「23場所に及び小結関脇の地位を確保した」とのことで、これは「当時の名力士の柏戸、雷電、鬼面山、玉垣に伍して偉とするに足る」という。
雷電に勝った力士の1人
 天明元年(1781年)、四之宮村の平野家に生まれた江戸ヶ崎。江戸宮城野平五郎に師事し、はじめは「大隈」のしこ名で初土俵を踏み、後に「荒馬」と改名。その後、久留米藩主有馬候のお抱え力士となり「江戸ヶ崎」に改名したという。また、文化7年(1810年)には当時無敵を誇った雷電為右衛門にも勝利し、史上最強と謳われる力士に土をつけた最後の1人でもある。そんな伝説の力士は今、高林寺(四之宮3-2-51)にひっそりと眠る。また同寺の入口には江戸ヶ崎の供養塔も立てられており、いずれも自由に参拝が可能となっている。
 さて、近世以来久方ぶりに平塚から誕生する関取・朝弁慶。今後どんな活躍を見せてくれるのか。200年分の期待がかかる。
【写真左から】江戸ヶ崎の墓/江戸ヶ崎の供養塔/春英画の『江戸ヶ崎源弥』(左)と春亭画の『荒馬源弥角力絵』(写真提供=平塚市博物館市史編さん担当)

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