
平塚市が今日の市域になる前、この地には複数の村や町があった。それらは繰り返される合併の中で次々に名を消していったが、在りし日の姿を記憶している人々は今もいる。また一方で、新たに移り住んだことでその土地の歴史に興味を持ち、探求する人々もいる。市内の各地域では近年、そういった「旧市域」や「学区」などの細かい単位において、郷土史を調査、研究し次代へ伝えていこうとするグループ活動が活発だ。今週は、結成から2年余りと比較的新しい市民団体ながらも、すでに5冊目の会報誌を完成させた「浜岳郷土史会」に話を聞いた。
浜岳地区(花水小学区+なでしこ小学区)を活動エリアとする同会は、花水公民館の50周年を機に平成25年2月、発足した市民団体。同地区の歴史や文化、教育、自然等を調査対象として会員各自が調査・研究・発表を行っており、それらの研究内容は同会が毎年2月と9月に発行している会報誌『浜岳』(200円)で読むことが可能だ。
新開地、浜岳
「意外かと思われるかもしれませんが、浜岳地区は何の歴史も無い新開地だったんです」と話すのは、自費出版による『湘南ひらつか 浜岳地区の歴史』の著者でもある同会会員の栗原健成さん(48)。「ただ地下水が良かったので明治29年にいわゆるサナトリウム、後の杏雲堂平塚病院が作られました。療養する場所としては最適だったんですね。ですから結核患者を家族に持つ方の別荘が多かったのは間違いないんです」
同会には「終戦後、体が弱かったため療養を兼ねて東京から浜岳地区に移り住んだ」という会員の鹿島吉武さん(74)もいる。また、線路を挟んだ本宿から移り住み50年ほど経つという会員の後藤正治さん(78)は、同地区に対し「昔は何も無く人が住む所ではない土地だと思っていました」とも言う。
誰も知らない歴史を後世に
「そういった戦前のマイナスイメージから、戦後、高度経済成長期を経てプラスイメージへと変えた先人たちがいます。資料に名が残っている人もいれば、歴史の影にいる人たちもいて、彼らを後世に伝えるのが、今を生きる我々の役割だと思っています」と栗原さんは郷土史研究の意義を語る。
自分たちが書き残さなければ、誰にも知られずに忘れ去られていってしまう歴史がある。それらをしっかりと地域に伝えることで、郷土愛を育んでもらいたいと同会は願う。もちろんその作業にはやりがいも多い。特に浜岳地区では、これまで郷土史会が存在していなかったし、歴史が「何も無かった」からこそ掘り起こされていない部分も多く、自分の発見したことが「1号」になるといった喜びもある。
市内で盛んな郷土史研究
市内には、同会のように郷土史を研究している市民団体が少なくとも10以上存在するという。中には同会よりも新しい団体もあるなど、その盛り上がりようが窺える。
そういった点では「先輩団体の方が多く、まだまだ新参者」と恐縮する同会も来年2月には第5号を発行するまでに至った。当初は聞き込み調査等の際に不審がられることもあったそうだが、発行を重ねることで認知も広がり、着々と会員数も増え、今では寄稿をしてくれる人もいるという。
そしてその先に取り組むべきは「普及活動」であると考えている。「最近では、金目地区の『エコミュージアム金目まるごと博物館』さんが『金目ふるさと検定』を始めました。また港地区には30年以上大会が続けられている『郷土いろはカルタ』があります。我々も普及する活動をしていく必要がある」と未来を見据えている。
市内で今、高齢者を中心とする世代で密かに人気のある分野。ローカルの、さらにローカルな郷土史探訪。会報誌を読むだけでも良し、会に参加するも良し。そこには必ず仲間がいる。
◇浜岳郷土史会=問い合わせは栗原さん(メールマーク7en3v9@bma.biglobe.ne.jp)へ。会報誌は公民館まつりなどで販売される。
【写真】(左から)浜岳郷土史会の栗原さん、鹿島さん、後藤さん
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