
この記事を読んでいるあなたは、「中国残留孤児」という言葉を知っている世代だろうか。昭和55年、社会問題として世間に問いを投げかけ、この言葉を世に広く知らしめたのが『NHK特集「再会」──三十五年目の大陸行』というドキュメンタリー番組だった。番組は反響を呼び、政府をも動かし、翌年から中国残留孤児の訪日調査が開始されるようになった。後には小説『大地の子』(山崎豊子、文藝春秋)も出版され、テレビドラマ化もされた。あの、社会に一石を投じた番組からさらに35年。戦後70年の節目を迎えた昨年の暮れ、当時NHKのディレクター・プロデューサーとして取材し番組を制作した元・NHK福岡放送局長で元・早稲田大学客員教授の原 安治さん(76、平塚市御殿在住)が『還らざる夏 二つの村の戦争と戦後 信州阿智村・平塚』(幻戯書房)を上梓した。生涯をかけ社会問題を追い続けてきた1人のジャーナリストが伝えたいこととは。
生まれも育ちも平塚市御殿。家は室町時代から続くという代々の農家で、家業を継ぐことが宿命と感じていた。だが高校在学中に起きた「菅生事件」を機にジャーナリストを目指し、早稲田大学へ進学、卒業後NHKに入局した。
著書の中でも振り返っているが、「NHKの放送が最も華やかな時代に『紅白歌合戦』とも『大河ドラマ』とも無縁の、最も地味なセクションで農業や食糧問題、昭和史などをテーマにドキュメンタリー番組を制作してきました」という原さん。後にライフワークの拠点となる信州のある山村との出会いは、そんな仕事の中でのことだった。
信州の山村から
当時担当していた番組宛てに届いた手紙の山から、するりと落ちた取材依頼の絵はがき。この1枚から長野県阿智村の人々との交流は始まった。その地で出会ったのが、写真家の故・熊谷元一氏と、「中国残留孤児の父」と称される故・山本慈昭住職だった。そうした関係の中で原さんは残留孤児問題に取り組んでいった。その後の社会現象は多くの人の知る所である。
全国一の満州開拓者送出県とされる長野県で、原さんは何を見たのか。戦時中、農村の人々がなぜ、どういう経緯で満州開拓団となったのか。同書では、村の人が命がけで保管してきたという戦時下の貴重な資料が数々紹介される。これらの一次資料から原さんは1つの解を出す。「彼らにとっての『満州行』は『開拓』でもなく『移民』でもなく、『献民』というべきもの」「人間供出」であった、と。
悲劇から
同書は、そういった「事の発端」から始まり、戦争から戦後までを追う。中には自身の空襲体験も交え、聞き込み調査による凄絶な戦争体験など、目を背けたくなるほどリアルに書き出す。阿智村と平塚の2カ所を軸に、マクロな視点とミクロな視点から同じ時制で交差させつつ真実を浮き彫りにする。
敢えて言うまでもなく、戦時中の悲劇は無数にあった。父が死んだ激戦地・フィリピンにも、自分も命を落とす寸前だった空襲で焼かれた平塚にも、全国の農村から集められた開拓団がいた満州にも。
「戦争だけはだめだよ」と心から言葉を発する原さん。著書の最後ではワイツゼッカーの演説を引用した上で、「もし日本人があの戦争から何も学ばず、何の教訓も得られないならば、我々は永久に『満州の悲劇』の段階に止まることになるのではないか」と締め括る。
1枚の絵はがきから始まり何の縁もなかった長野の山村での取材を重ね約50年、真摯に向き合ってきたからこそ書けた本。「戦争を知らない世代にこそ読んでほしい。忘れてしまった人には思い出して、知らない人に戦争のことを教えてほしい。そう思って書きました」
今年は「戦後71年」の年。節目の年ではないが、常に忘れてはならないことがある。
『還らざる夏 二つの村の戦争と戦後 信州阿智村・平塚』(幻戯書房、1,800円+税)は市内の書店で取り寄せ可。
【写真上】
著書の中にも登場する空襲で焼け残った柱の前に立つ原さん

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