平塚市万田の愛宕神社にある神輿が、今から200年前の文政元年(1818年)に建造されたとみられることがわかった。4日、同神社の神輿保存会の愛神会(吉川尚良会長)が発見した芯柱の文字を、元博物館館長の土井浩さんが鑑定。「文政のものでほぼ間違いないでしょう」と語った。
同会では昨年11月、神輿の点検をしていた際に、神輿の中心部を縦に貫く“芯柱”に「文政元年」の文字があることが話題になった。以前から古い神輿だとは考えられていたが、改めて調べると文政元年は今からちょうど200年前。これを機に同神社の氏子総代である真壁佐一さんの知り合いである土井さんに鑑定を依頼した。
鑑定当日、多くの保存会メンバーが見守る中、土井さんは神輿内部の文字を確認。芯柱の記載は「干時文政元年戊寅六月吉祥日 相陽高座郡大庭之庄菱沼村 棟梁高橋儀右衛門」というもの。文字は江戸幕府の公用書体だった御家流という書写体で書かれており、意味は「文政元年に高橋儀右衛門という人が菱沼村(現在の茅ヶ崎市)のために神輿を造った」という内容。ほぼ間違いなく200年前の建造物であるとみられる。当初は棟梁の名前の半分は構造上隠れてしまっていたが、神輿を持ち上げ柱のクサビをずらすなどして名前まで確認すると、メンバーらからは感嘆の声も聞かれた。
菱沼村で作られた神輿が何故万田にあるのか。関係者によると、この神輿は「茅ヶ崎の神輿連中から盗んできた」とか「相模川に流れているのを拾ってきた」という尾ひれがついた話もあるが概ね「茅ヶ崎や寒川のものを譲り受けた」という話が伝わっているという。このことも書かれている内容の裏付けに一役買った。
吉川さんは「全国の神輿保存会で200年前のものを担いでいるところがどれだけあるか。大事にしないと。後継者も減っているし、これで興味をもってくれる若い人がいるといいね」とやや興奮を隠しきれない様子で話してくれた。土井さんも「200年前のものは決して多くはない、地域の人に大切にされた“神輿”だからこそ、残ったのかも」と話した。
4月1日9時からは同神社の例大祭が開催される。200年前の息づかいを現代に蘇らせる神輿の勇姿を見られるチャンスが早速おとずれる。

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