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源平とその周辺 |2014.01.17

源平とその周辺 第2部:第5回 平家の人々

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 捕虜となっていた平時忠は、困っていた。まずいことに、絶対に人に見られてはならぬ手紙が義経の手に渡ってしまっていたのだ。息子に相談したところ、「情けある義経のことだから、まず娘の誰かを差し出して親しくなってからこの件について持ち出すとよい」という。平家が繁栄していた頃は天皇の后にしたいとも思っていたのに――。そう渋る時忠に息子は、今となってはそのようなことに執着している場合ではない、と諭す。義経はすでに河越重頼の娘を妻としていたが、時忠の娘と連れ添うことを喜び、大切に遇した。彼女が手紙の件を口に出すと、義経は封も解かずに時忠のもとに送った。安堵した時忠は、その手紙をすぐに焼却した。
 一方、息子の清宗と東国に下ることになった平宗盛。もう1人の子に何としても会いたいと義経に願い出たところ、聞き届けられた。宗盛は、まだ幼い子を膝にのせて髪をかきなでる。「難産で亡くなったこの子の母親から、ずっとおそばで大切に育ててくださいと頼まれました。清宗は大将軍でこの子は副将軍、との意で副将という名にしたところ大層喜んでいたものです」。日が暮れて帰る頃になっても、副将は宗盛と離れたがらなかった。
 幼くて鎌倉へは連れて行けないこの若君の処置を、河越重房(重頼の子)は義経から任されていた。重房は「大臣父子は鎌倉に下られますが、若君は京都にてお過ごしください。これからは、緒方惟義のもとにお預けします」と言って、副将を連れだした。副将と女房達が車に乗る。また父に会えるのかと胸を躍らせる副将。車が進むにつれて女房達は不審に思う。行く先が違うのではないか。そしてはっと気づいた。賀茂の河原だ。処刑場ではないか。女房達は必死に抱きかかえて守ろうとしたが、平家の頭領の子である副将の処刑は、免れなかった。
 さて、平家の捕虜を連れた義経一行は関東を目指して下っている。「命が助かるよう是非ともお計らいください」と頼む宗盛に、「私の勲功の賞と引きかえに願い出てみましょう」と請け合う義経。義経には自信があった。功績を上げたこの私の申し立てを、兄が聞き入れてくれないはずがない。
【写真】
河越氏居城の跡地に立つ『国指定史跡河越館跡』の木碑(常楽寺)。跡地の一部は史跡公園として整備されている(埼玉県川越市上戸)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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