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源平とその周辺 |2014.01.24

源平とその周辺 第2部:第6回 酒匂の宿にて

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0124 源平 頼朝のもとに、京にてしたためた義経からの起請文が届いていた。兄に対する異心はない、と記したものだ。頼朝はこう受け止めた。範頼(頼朝の弟)は何度も使者を寄越して自分に詳細を報告してくるのに対して、義経は勝手な振舞いばかりしている。そうしてこちらが不快感を示していることを今になって知り、このように釈明のための使者を寄越してくるとは許せない――。義経の起請文は、かえって頼朝の怒りを増幅させた。
 宗盛父子を伴った義経一行は、1185年5月15日に酒匂の宿に到着した。堀弥太郎景光を先に鎌倉へと遣わせて、義経一行が明日は鎌倉に入りますということを頼朝に報告させてあった。ところが、酒匂で宗盛らを迎えとるとして、頼朝は北条時政を遣わしてきた。そして義経に対して下された命令が、結城朝光から伝えられる。「鎌倉に入ってはならない。しばらくの間その辺りにとどまり、召しがあるまで待つように」とのことであった。
 翌日には宗盛父子をはじめとした平家の家人達が鎌倉に入った。多くの人々が集まって見物する。そこに義経の姿はなかった。この日、酒匂でもめごとが起こった。京都から鎌倉へ赴く一条能保(頼朝の妹婿)に仕えていた後藤基清の従者と、義経の郎等である伊勢義盛の下部とが言い争いを起こしたのだ。その諍いが、ついに基清と義盛との争いにまで発展しそうな騒ぎとなってしまった。能保が基清を、義経が義盛をなだめてなんとかこの乱闘騒ぎを鎮めたが、この件はさらに頼朝を激怒させた。義経の配下である義盛の下部たちの驕り高ぶった振舞いが、頼朝には許せなかった。
 鎌倉入りの許可がなかなか下りない義経は鎌倉の近くの腰越で過ごしていた。平家を討伐してその頭領である宗盛を連れてきたのに、恩賞があるどころか足止めを食らわされている。どうして兄は自分に会ってくれないのだろう。何か誤解が生じているのではないだろうか。話せばきっと分かってくれるはずだ。会ってきちんと釈明したい。どうすれば良いのだろう。義経は考えた。そうだ、兄にもう一度、手紙を書いてみよう。
【写真】
鎌倉時代の宿、酒匂宿に建てられた「旧川辺本陣」(建物は江戸時代後期のもの)。現在は私有地(小田原市酒匂)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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