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源平とその周辺 |2014.02.22

源平とその周辺 第2部:第10回 宇都宮朝綱の恩返し

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0221 源平 宇都宮朝綱(ともつな)は頼朝に願い出ていた。平貞能の身柄を預かることの許しを、である。平貞能は、平家にとって忠実なる家人だった。平家が都落ちをするとなったときには、源氏に荒らされぬよう重盛(清盛の長男)の遺骨を墓から掘り起こして都を出たが、西海に向かう際には平家一門から離脱して行方をくらましていた。その彼が、突然宇都宮朝綱のもとに現れたのだ。出家していた貞能の希望は、山林に隠棲したいということだったが、そのためには頼朝からの許可がいる。そこで、宇都宮朝綱を頼って東国へと来たのだ。朝綱はすぐに頼朝に伺いを立てたが、許すか否かの命令は特に出されなかった。朝綱は頼朝に説いた。「私が京にいたとき、頼朝様が挙兵されたと聞いて東国に戻ろうとしたのですが、平家からの許しが出ませんでした。その時に、朝綱と畠山重能(重忠の父)、小山田有重(重能の弟)が許しを得て帰国できるようにと、うまくとりなしてくれたのが貞能なのです。貞能のおかげで我々は無事に味方に馳せ参じて、平家を討つことができました。つまり頼朝様にとっても、貞能は功績のある人物だといえるのではないでしょうか」。朝綱は続ける。「もし、貞能が反逆を企てるなどというようなことがあれば、その時は永く私の子孫を絶ってください」。頼朝は、貞能を預かる許可を朝綱に与えた。
 朝綱に関しては次のような逸話もある。ある時、頼朝が「那須野で狩りをして、二荒山神社を参拝しようと考えている」と朝綱に伝えたことがあった。朝綱は、早速その旨を妻に書き送る。そこには頼朝一行が使用する数多くの屋形の設営についての指示が詳細に記されていた。早々に準備を整えよ、との朝綱の手紙に驚いた妻は人々と相談しあいながら大工を召し集め、大がかりな設営を進めていく。宇都宮に到着した頼朝は驚き、感心した。なぜなら朝綱は自分のもとを片時も離れなかったにもかかわらず、立派な屋形の数々が既に造営されていたからだ。これが朝綱の妻の賢さによるものだと聞いた頼朝は、この妻を召して引き出物を与え、さらに素晴らしい妻を持ったという理由で朝綱にも褒美を与えた。美しく賢明な妻を持った朝綱を、皆は羨ましがったという。
【写真】
鎌倉初期から大正時代まで三十三代に亘り造営され続けた「宇都宮家累代の墓」に建つ「三代 朝綱」の墓(栃木県芳賀郡益子町)写真提供=益子町
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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