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源平とその周辺 |2014.03.21

源平とその周辺 第2部:第14回 頼朝追討の宣旨

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0321 源平 追いつめられた義経が後白河法皇に迫る。「鎌倉で行家追討の命令が出たことを受けて行家が謀反を企てました。制止しても聞き入れてくれませんし、兄は私までも殺すつもりのようですから、私は行家と結託します。つきましては頼朝追討のご命令をいただきたいのです。そうでなければ自害します」。法皇は「十分に行家をなだめよ」と答えた。源氏同士の対立によってその勢力が衰えてくれるのは好都合だが、まだ義経を失いたくはない。
 土佐房昌俊が60騎余りの軍勢を率いて義経の館を襲撃した。義経配下の武士達は外出している者も多く、館には少数の人間しかいなかった。義経は佐藤忠信らとともに応戦し、行家も駆けつけて防戦したので、ついに昌俊の軍勢は退散した。義経の家人達は、手分けして昌俊を捜索する。義経はすぐに院の御所に参上し、落ち着きを取り戻したことを伝えた。義経に頼朝追討の命令を与えてもよいものか、御所では話し合いが行われる。「今のところ義経以外に朝廷を守る武士がいないため、勅許を与えられなかった義経が万一暴挙に及んだ時に制止できる者がいない。とりあえず今は義経の思う通りに勅許を出して、後から事情を頼朝に知らせればよいだろう」
 京都から参上した一条能保(頼朝の妹婿)の家人らが、昌俊による義経襲撃の失敗と、義経らに頼朝追討の宣旨が出されたことを報告してきた。山内経俊の従者からは、義経が軍兵を集めて伊勢国の守護である経俊を滅ぼそうとしているという情報も入る。頼朝は、動揺を見せずに南御堂供養の準備に専念する。義経の縁戚の河越重房は、供奉人の列に加えられる予定であったが外されることになった。
 いよいよ南御堂(勝長寿院)の完成の日を迎える。晴れやかな空のもと、多くの御家人が武装して辻々を警護する。華やかで立派な式が執り行われ、導師や僧達には豪華な布施が与えられた。式を終えた頼朝は和田義盛と梶原景時に命じる。「上洛する。兵を集めよ。その中からすぐにでも出発できる者を知らせよ」。義経と行家を追討するために起ちあがる頼朝。京都では、鞍馬山で捕らえられた土佐房昌俊らが、六条河原で処刑されていた。
【写真】
土佐坊昌俊を祀る「冠者殿社」(京都市下京区貞安前之町)。昌俊の「誓文払い」(上洛して義経に捕われた際、義経に対する忠義の誓文を書いたにも関わらず夜討ちをかけた昌俊は、処刑される際に忠義立てのために偽りの誓いをする者の罪の救済を願った)などから「誓文払いの社」として知られ、「仕事上での嘘が許される」ご利益があると伝わる。そのため商売上、時には嘘をつかざるを得ない場合のある商人や遊女、芸舞子などから篤く信仰されてきたという
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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