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源平とその周辺 |2014.04.11

源平とその周辺 第2部:第17回 捕らわれた静

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0411 源平(傾き修正願います) 義経が大和国(奈良県)の吉野山にいるという噂が流れている。そうした噂を受けて吉野山では僧達によって捜索が行われた。しかしなかなか義経は見つからない。夜の10時頃になって、坂を下りて蔵王堂にたどり着いてきた女性がいた。どうも様子が怪しい。僧達が見とがめて、執行(しぎょう・寺院において実務を統括する僧)の坊へと連れてきたところ、その女性は義経の愛妾の静御前であることがわかった。静御前は有名な白拍子(男装をして歌って舞う女性)で、その舞の素晴らしさは都でも評判だった。ある時このようなことがあった。日照りが100日間続いたために降雨のための祈願を神泉苑で行うことになり、100人の美しい白拍子が召し集められた。99人が雨乞いのために舞いを奉納しても何事も起らなかったが、最後に静が舞った時には黒い雲が俄かに起こって雨が降り出したのだ。そのようなこともあり、静は日本一の白拍子であるとして都で名高かった。
 そんな静が、義経に関係する女性ということで、今は捕らわれの身となっている。彼女の述べるところによれば、大物浜から船出して遭難してから、吉野山へと来て5日間逗留していたのだが衆徒(しゅと・僧兵)が蜂起したとの噂があったので、義経達は山伏の姿になって逃れたということである。別れる際に、義経が多くの金銀を自分に与え、雑色(下男)達をつけて京へ戻れるようにと差配してくれたのだが、その雑色達が財宝を奪って立ち去ってしまった。雪深い山中に一人残されてどうしようもなくなり、このように迷い出てくることになったのだと静は語る。この静の証言によって、義経達が大物浦で遭難してもなお生存しているという事実が明らかになった。再び衆徒らは山を捜索する。執行は静を哀れに思った。今はとりあえずゆっくりと休ませてあげよう。頼朝方に身柄を渡すのは、それからでもよい。
 そうして吉野でしばらくの間休養した静は、入京してきていた北条時政のもとへ送られて尋問を受ける。この後、鎌倉へと連れて行かれることになる静御前。義経の子を身ごもっていることは、この時まだ、誰も知らない。
【写真】
1202年前、嵯峨天皇により日本で初の公式行事として桜の花見が催され「花見発祥の地」ともいわれる神泉苑(京都市中京区)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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