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源平とその周辺 |2014.04.25

源平とその周辺第2部:第19回 平家の嫡流、六代御前

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0425 源平 京都において北条時政がしなければならなかったこと。それは、平家の子孫を次々と捜し出しては亡き者にしていくことだ。時勢が変わった以上、気が進まなくてもやらなければならない仕事であった。続々と情報は入ってくるが、平家の嫡流である六代御前(平正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛→六代、のように平家興隆の祖である正盛から数えて六代目という意)に関してはなかなか見つけ出すことができないでいた。そんなある時、「嵯峨野の大覚寺の北方にある菖蒲谷」の辺りに六代らが潜んでいるという情報が入った。すぐに人を遣って捜させたところ、それらしき人々が住んでいるという。時政は出向いた。四方を武士で取り囲み、「六代御前をお渡しください」と伝える。とうとう見つけられてしまったと、家の中では声をあげて人々が泣き悲しんでいる様子である。時政は気の毒に思いながら待っていた。家の中では、若君が母親に「私を早くお出しください。もし武士達が中に入ってきたら、このように取り乱している有り様を見られてしまいますよ」としっかりとした様子で慰める。母は、泣きながら息子の髪を撫でて着物を着せ、小さい黒檀の数珠を渡した。12歳の六代は、見た目が優美であるために、弱々しそうだという印象を与えないように気丈に振る舞って出ていく。斎藤五・六兄弟(実盛の子かともいわれる)は、六代の乗った輿の左右に裸足で付き従った。
家に残された母と乳母の女房はあまりの悲しみに泣くよりほかなかった。この何日かの間、平家の血を受け継ぐ子供達は、水に入れられたり土に埋められたり、刺し殺されたりしているという話を耳にしている。なかには褒美欲しさに平家の子ではないのに「あの家の子は平家の子だ」と偽って密告する輩もいて、無関係な幼子たちまでもが命を奪われているともいう。平家嫡流の六代の命が助かるわけがない。少し大人びているから、きっと首を斬られるに違いない――。乳母の女房はいてもたってもいられずに、泣きながらあてもなくさまよう。するとある人が「高雄(高尾)にある山寺(神護寺)の文覚(もんがく)という聖が、身分の高い人の子を弟子にしたいとおっしゃっている」と教えてくれた。乳母の女房は、一縷の望みを胸に抱いて、高雄山へと向かった。
【写真】江の島の岩屋に弁財天を勧請した文覚が住んでいた地に建つ『文覺上人屋敷迹』の碑(鎌倉市雪ノ下)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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