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源平とその周辺 |2014.05.30

源平とその周辺 第2部:第23回 静の舞

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0530 源平 鶴岡八幡宮の廻廊では、静御前が窮していた。舞を披露するようにとの頼朝の命令を固辞し続けていたのだが、とうとう断りきれぬ状況に陥ってしまったのだ。鼓を受け持つのは、工藤祐経。1193年5月28日に曽我兄弟によって討たれる人物である。曽我兄弟の祖父の伊東祐親(伊豆の豪族)が、祐経に受け継がれるはずの領地を横領するために長年祐経を京都に遠ざけていた関係で、彼は京都の事情に詳しくなり、歌舞音曲にも秀でるようになっていた。ちなみに捕虜として東国に来ていた平重衡を慰めるための宴でも、祐経は鼓を打ち、今様を謡っている(『吾妻鏡』)。銅拍子(小型のシンバルのような打楽器)は畠山重忠が担当することになった。
 静は歌い始める。「吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」「しづやしづ 賤(しづ)のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」……。誠に壮観であった。そこに居合わせた人々は皆、静の歌いぶりの素晴らしさに感じ入っている――ただひとりを除いて。不機嫌になったのは頼朝だ。静の歌の内容は、「吉野山の雪を踏み分けて山中の奥深くへと入っていかれたあのお方の跡(行方)が恋しい」「静(しづ)よと繰り返し呼び掛けてくださったあの昔を今に取り戻すような手立てがあればいいのに」と、義経を慕うものであったからだ。頼朝は不愉快な気持ちで述べた。「八幡宮の神の前で芸を披露するからには、関東が末永く繁栄することを寿(ことほ)ぐべきであるのに、よりによってこの場で反逆者の義経を慕う歌を口にするとは許しがたい」。頼朝の世が尽きて、義経の世が巡って来るようにとでも言いたいのか。頼朝の憤りは収まらない。
 政子は取りなす。「あなたが流人として伊豆にいらした頃、父である時政によって別れさせられそうになった私は、暗い夜道をさまよいながらお慕いするあなたのもとへと辿り着きました。石橋山の戦いの時には伊豆山に留まりながら、日夜魂も消え入るばかりに心配でたまりませんでした。今の静の心境と同じです。彼女がもし義経をもう慕っていないのなら、貞女であるとは言えないでしょう」。怒りを鎮めた頼朝は、静に褒美を与えた。
【写真】
鶴岡八幡宮の舞殿で毎年4月第2日曜日に再現される「静の舞」
写真提供=鎌倉市観光協会
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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