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源平とその周辺 |2014.09.18

源平とその周辺 第2部:第35回 畠山重忠の受難

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0919 源平 文治3(1187)年6月。畠山重忠が地頭を任じられていた伊勢国(三重県)沼田御厨でのこと。重忠の代官であった真正という者が員部大領家綱の従者達の住宅を奪い取って資財を没収するという事件を起こした。家綱が神人らを遣わして訴えてきたことから、その不正を糾明するため、頼朝の御書を携えた使者が伊勢国に向かう。何か不都合なことがあった場合は事情を報告するようにと、伊勢国に滞在していた大江久兼に指示する。大江久兼というのは、頼朝が2年前に京都から鎌倉へと招いた楽人(楽を奉納する者)である。彼はこの場合のように所領紛争を処理するといった幕府の実務的な仕事もこなしていた。
 さて9月になって、その真正の犯した罪のために畠山重忠が千葉胤正(常胤の子)のもとに召し預けられることになった。事情も知らぬし、自分は関与してもいないということを重忠は弁明したが、所領4ヶ所を没収されて囚人となってしまう。10月4日。胤正は頼朝のもとに参上して伝えた。「重忠が召し籠められてすでに7日が経ちました。この間、ずっと寝食を断っております。その上、一言も発しません。今朝、私がいろいろと言いなして食膳を勧めたにもかかわらず、食事をとろうとはしませんでした。顔色も徐々に悪くなってきて、すでに諦めの境地に達している様子です。早く重忠をお赦しくださいますようお願い申し上げます」。
 頼朝は、赦すことにした。重忠はあとで朋輩に言ったという。「代官としてふさわしい人物がいないのなら、恩賞の地をいただくべきではない。自分は清廉潔白な人間だと自負していたのに、真正という者が悪事を働いたために、恥辱を受けることとなってしまった――」。そうして、武蔵国へと帰っていった。
 13日には伊勢太神宮の神人達からの訴えもあり、問題となっていた伊勢国の沼田御厨の地を吉見頼綱に与えることが決まった。頼朝は、真正によって強奪された所領や資財等をきちんと元の通りに持ち主に返却するように、そして今後その一帯においての武士の狼藉をやめさせるようにと大江久兼に命じた。
 しかし重忠の受難は、これで終わりではなかった。
【写真】歌川国芳が描いた畠山重忠。馬を背負い鵯越(ひよどりごえ)を下っている場面
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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