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源平とその周辺 |2014.12.19

源平とその周辺 第2部:第44回 弁慶の最期

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1219 源平写真1 文治5(1189)年閏4月30日。奥州の藤原泰衡が、義経を襲撃した。義経が藤原基成(秀衡の舅)の衣川館にいたところを泰衡の兵が数百騎で攻め寄せたのだ。泰衡の父の秀衡が、「義経を引き立ててその指示に従うように」と遺言したのも空しく、朝廷と頼朝による強力な圧迫に屈した形となった。義経の家人らも防戦はしたのだが、多勢に無勢であった。
 『義経記』には、義経主従の壮絶な最期が物語られる。味方が次々と討たれていき、義経はとうとう覚悟を決める。「最後に経を読み終えたいのだが」と言う義経に対して、「落ち着いてお読みくださいませ。それまでこの弁慶が矢を射て防ぎます。たとえ自分が死んだとしても、義経様が経をお読み終えになるまでは、しっかりとお守り申し上げます」と、受け合う弁慶。すでにひと戦をしていたので、傷ついて血にまみれた状態だったにもかかわらず、弁慶は固く約束した。そうしてまた、「死者が行くという道の途中で殿をお待ち申し上げて、極楽浄土へともに参りましょう」――、とも誓った。弁慶は縦横無尽に長刀(なぎなた・薙刀)で斬りまわる。激しく暴れまわる弁慶の勇猛さに恐れをなして、まともに向かってくる者はなかなかいない。弁慶の鎧には、数知れぬほどの矢が突き刺さっている。寄せ手の者達は、「負傷しながらも奮戦する弁慶がなぜ一向に死なないのか」と不思議に思った。弁慶は、長刀を逆さまにして杖のようにしてつき、敵方をにらみつけながら仁王立ちになる。敵方の者達は、弁慶がこちらを凝視しながら笑いを浮かべていることに怖気づいた。ただ事ではない、と感じて近寄る者もいない。「剛勇な武士は立ったままで死ぬということがあるらしい」という誰かの発言を受けて恐る恐る皆が近づいてみると、若武者の乗っている馬にぶつかって弁慶が倒れた。皆は身構えたが、倒れた弁慶は既に事切れていた。義経が心静かに自害できるようにと、長刀を握って威嚇しながら死していたのだった。死してなお立ち続けて主君を守り抜いた「弁慶の立ち往生」の逸話は、主従の絆の強さを表わしていて印象的な場面である。
【写真上】弁慶(手前)と義経が花見をしている場面を描いた月岡芳年(1839-1892)による錦絵『芳年武者无(む)類』の「武蔵坊弁慶・九郎判官源義経」(国立国会図書館蔵)
【写真下】弁慶の生誕地とされる和歌山県田辺市の紀伊田辺駅前に建つ『弁慶像』
1219 源平写真2

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