源平とその周辺 第2部:第45回 弁慶の物語(1)
義経と固い主従の絆で結ばれていた弁慶という怪僧が、実在したのかはわからない。『吾妻鏡』や『平家物語』などにその名は見えても、伊勢三郎のように活躍する家臣として描かれているわけでもない謎の人物である。特記されることのなかった弁慶が、時代が下るにつれて、義経の従者としては欠かせない重要な存在として語られるようになってくる。その弁慶の生い立ちの物語を、主に『義経記』からみていこう。
熊野の別当で「弁せう」(実在の別当である湛増とする伝えもある)という者がいた。「天下第一の美人」と評判の姫君が京都から熊野に参詣しにきたとき、別当は婚約者のある身であった姫君を強引に奪い取ってしまう。京都からは姫君を取り返そうと軍勢が攻め寄せてきたが、熊野勢は防戦して撥ね退けた。そのうちに姫君と別当の間に子ができた。生まれるのを今か今かと待つが、その子が生まれ出てきたのは、なんと18か月目であった。誕生した際には、すでに世間でいう2、3歳くらいの外見。しかも、髪は肩が隠れるくらいに伸びており、歯も生えそろっていて前歯も奥歯もかなり大きい。その容貌の奇怪さに驚いた別当が、「鬼神に違いないから生かしてはおけない」と言ったのを聞きつけて、別当の妹が引き取って世話をすることになった。鬼若と名づけられたその子は、5歳の頃には12~13歳くらいに見えたという。
やがて鬼若は、比叡山の桜本僧正のもとに預けられて、学問に専念することになった。しかし、ある時から喧嘩や悪事ばかりするようになり、誰の手にも負えなくなってしまった。僧正からも見放された鬼若は、自分で頭を剃って武蔵坊弁慶と名のり、比叡山を出る。四国に渡って修行を積んだのち、参籠した播磨(兵庫県)の書写山では揉め事を起こして山を焼いてしまう。傍若無人に悪事の限りを尽くす弁慶の振る舞いは、もはや誰にも止められない。
そんな弁慶が、目標を決めた。「太刀を千振(せんふり)集めよう」。買うのでも貰うのでもない。奪い取るのだ。ここは京都、時は夜。
【写真】鯉退治をする鬼若丸。『小倉擬百人一首』(江戸時代)の中で陽成院の歌「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」に合わせた浮世絵として一勇斎(歌川)国芳により描かれたもの(国立国会図書館蔵)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。
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