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源平とその周辺 |2015.04.03

源平とその周辺 第2部:第53回 阿津賀志山へ

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0403 源平
 城長茂のもとに多くの郎従が駆けつけていた。驚く頼朝に、梶原景時が言う。「長茂に従う者は本来数百人います。彼が囚人となった時に分散していた郎従達が、今回のことを聞きつけて集まってきたのでしょう。この辺りは彼の本拠地の越後や会津に近いところですから」。頼朝の機嫌が良くなった。景時という人物は、囚人として身柄を預けられた者を頼朝に取りなして、再び生かす能力に長けていたようだ。(景時の進言によって流鏑馬の達人である金刺盛澄が赦されて頼朝に仕えるようになったことは、第2部第33回で既に述べた)。さてこの城長茂については後の話になるが、梶原景時が討たれて約1年後に、この件に関与してか京都で幕府打倒の叛乱を起こしている。ちなみにこの叛乱に呼応して越後で奮戦した、美しい女武者として名高い板額(はんがく)は長茂の妹である。
 いよいよ頼朝一行が白河関(福島県白河市)を越え、関明神に奉幣する。ここ白河関は、みちのくへの入り口である。梶原景季(景時の長男)に、頼朝が声をかける。「今は初秋の季節。能因法師について思い出さないか」。能因法師とは「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んだ平安期の歌人。春に都を発ってはるばる来た白河の関には秋風が吹いている――と詠んだこの歌は、西行や芭蕉などにも影響を与える有名な歌である。景季は馬を止めて一首詠んだ。「秋風に草木の露を払わせて君が越ゆれば関守もなし」。梶原父子には和歌のたしなみがあり、そうした面でも頼朝の期待に応えていたことがいくつかの逸話からも知られる。
 さて、頼朝軍は国見(福島県伊達郡国見町)に到着。阿津賀志山(厚樫山)の要塞があるところだ。頼朝の進軍を阻むため、藤原氏によって堅固な城壁が築かれており、堀には阿武隈川の水が引き入れられていた。今に伝わるこの阿津賀志山防塁の跡は、そのスケールの大きさを物語っている。ここを大将軍として守っていたのは、泰衡の異母兄にあたる国衡(秀衡の長男)。この要害は何としても守り抜きたい。一方で頼朝は、宿老の将軍達に伝えた。明朝に、攻撃する。
【写真】
厚樫山全景。標高は289.4m(福島県伊達郡国見町)
写真提供=国見町
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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