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源平とその周辺 |2015.04.17

源平とその周辺 第2部:第55回 第55回 先駆けをめぐって

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0417 源平
 三浦義村、葛西清重、工藤行光ら7騎が、抜け駆けをしようとしている。このことに気づいた畠山重忠の郎従が、主人である重忠に忠告した。「この度の合戦で先陣を仰せつかったというのは、大変名誉なことであります。にもかかわらず、仲間は先陣を駆けようと出立してしまいました。このまま見過ごすわけにはまいりません。ここにとどまっているようにと、今すぐにでもその前途を塞ぐべきです。もしそうしないのであれば、頼朝殿にこの旨を訴え申し上げて、各人の勝手な振舞いを止めていただくようにすべきです」。郎従はそう主張した。しかし重忠は泰然としている。「そのようなやり方は適切でない。重忠が先陣を任された上は、自分が出向いていない戦で敵を退けたとしても、勲功は私のものとなる。それに何よりも、先へ進もうとする者達を妨害するというのは、本意ではない。人の行く手を阻むのは、自分ひとりの勲功や恩賞を願っているようなものだ。おとなしく、気づかぬふりをしてやり過ごせばよい」
 さて、三浦義村ら7騎は先へ先へと進む。夜通しで峰々を越え、ついに国衡方の木戸口(城柵の入り口)まで到達した。それぞれが名乗りを挙げる。すると、泰衡の郎従である伴藤八をはじめとした剛力の兵達が攻めてきた。伴藤八は剛腕の猛者である。工藤行光が先駆けを果たす。行光が伴藤八と組み合う。接戦の末に伴藤八が討たれた。工藤行光はこの合戦における功績によって、後に陸奥国岩手郡を拝領することになる。そして奥州工藤氏の祖となった。
 午前6時前後。頼朝は、とうとう阿津賀志山を越えた。大軍にて木戸口に攻め寄せる。しかし、国衡側としても、そう簡単には屈しない。こちらはこちらで、計略をめぐらせた上で、この戦に臨んでいるのだ。
 さて、奮戦している三浦義村らが、前夜に密かに出発し、現場に先に到着していたことついては既に述べた通りである。実はほかにも、まだいたのである。夜、頼朝の宿所を密かに抜け出していた者達が。
【写真】
菊池容斎(1781-1878)による『前賢故実 巻第八』の中で描かれている工藤行光(国立国会図書館蔵)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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