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源平とその周辺 |2015.05.22

源平とその周辺 第2部:第57回 小山政光の言葉

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 奥州合戦における小山氏の活躍を後押ししていたのが、下野国の大豪族である小山政光の言葉だ。次のような逸話が『吾妻鏡』に載る。頼朝一行が奥州へ向かう途次のこと。下野国の宇都宮神社で戦勝祈願をした頼朝が、宿に入る。その際に食事を献上したのが、小山政光だった。政光の妻は、寒河尼(さむかわのあま/さむかわに/さんがわに)といって頼朝の乳母のうちのひとりである。かつて、挙兵した頼朝が石橋山敗戦後に房総へ渡り、千葉常胤や上総広常らを従えて武蔵国に入った時に彼女は頼朝のもとを訪れている。可愛がっている末子を連れて隅田の宿へと参上した寒河尼は、その子を頼朝の側近くで仕えさせたいと請うたのだった。そこで頼朝はその若者を元服させて、自身の烏帽子を与えた。その彼こそ、小山(結城)朝光である。だから頼朝からの信任も厚い。平家討伐後、捕虜を連れてきた義経に対して、酒匂の宿で「鎌倉入りを許さぬ」という頼朝からの命令を伝えたのも朝光だった。
 さて、小山政光が頼朝に食事を献上した場面に話を戻そう。この時、紺の直垂(ひたたれ・衣服)を着た者が頼朝の近くに伺候していた。政光が「彼は何者でしょうか」と問うたところ、頼朝は「彼は、本朝無双の勇士、熊谷小次郎直家である」と答えた。小山朝光は気になって尋ねた。「何をもって彼のことを『無双』とおっしゃるのでしょうか」。頼朝は言う。「平家討伐の際に、一の谷をはじめとする合戦で父親の熊谷直実と一緒に命をかけて戦ったことが何度もあったからである」。それを聞いていた政光は笑った。そして述べる。「主君のために命を捨てるのは勇士にとって当然のことです。これは直家ひとりのことに限りません。直家のような者は、仕える郎従を持たぬために自身の力で勲功を挙げるしかないのです。だから無双の勇士として名を挙げたのでしょう。私のような者は、ただ配下の郎従を派遣して忠義を尽くすだけです」。政光は続けて子息達に向けて命じた。「そうとあらば、このたびの奥州での合戦においては、各自奮闘して功績を残し、『無双』の称号を賜るようにしなさい」。その場にいた小山朝政、宗政、朝光らは、父の言葉をしっかりと受け止めた。頼朝は、たいそう興に入った。政光の言葉通り、この後見事に彼らは目覚ましい活躍を遂げることになる。
【写真】
栃木県小山市内に建つ『小山政光・寒川尼像』の前に立つマスコットキャラ「政光くん」と「寒川尼ちゃん」
写真提供=小山市
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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