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源平とその周辺 |2015.06.05

源平とその周辺 第2部:第58回 国衡の最期

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0605 源平
 小山朝光らによる背後からの急襲を受け、不意を突かれて平静さを失った国衡方の兵達は、散り散りに逃げだしていた。大将軍、藤原(西木戸)国衡もまた、逃げているところである。頼朝方の武者・和田義盛は、先へ先へと駆けて、国衡を追う。夕暮れになった。ここは陸奥国の大高宮(宮城県柴田郡大高山神社)の辺りである。国衡は、田んぼのあぜ道を駆けている。必死に追いかける義盛。義盛は呼びかける。「引き返して、手合わせをしていただきたい」と。こちらを向いた国衡が名のる。国衡が矢をつがえていたその時、義盛が先に矢を放った。するとその矢は国衡の鎧の左側の袖を射通して、腕に達した。傷を負った国衡が退く。再び、義盛は矢をつがえる。そうして、射ようと構えた。狙いを定める。
 突然、畠山重忠率いる大軍が目の前に現れた。そして国衡と義盛との間に入ってきた。重忠方の軍にいた大串次郎が、国衡と対峙する形になった。国衡は、義盛が次に放ってくるであろう矢に怖れをなしていた上に、押し寄せた重忠の大軍に驚いて動揺した。そして道を踏み外し、深田に入り込んでしまった。何度も何度も馬に鞭を当てるのだが、馬はどうしても元の道に上ることができない。この馬は、奥州第一の駿馬(足が速く、優れた馬)で、どんなに駆けても汗をかかないといわれるほどの名馬であった。それなのに、このような状況ではもはやどうにもならなかった。深田にはまり込んで動くこともできず、焦る国衡。無力となった彼を、大串が討つ。この大串次郎という者は、かつて宇治川の合戦の際に、激流の宇治川において畠山重忠に助けられたことのある人物でもある(第1部第34回参照)。
 さて頼朝は、船迫(ふなばさま・宮城県柴田町)の宿に逗留していた。畠山重忠が頼朝のもとへ参上する。大串が討ち取った国衡の首を献上するためだ。頼朝が重忠に「たいそう感心した」との言葉をかけた、その時である。重忠による、国衡の首の献上に異議を唱える者がいた。和田義盛であった。
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。
【写真】
菊池容斎(1781-1878)による『前賢故実 巻第八』の中で描かれている和田義盛(国立国会図書館蔵)

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