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源平とその周辺 |2015.05.01

源平とその周辺 第2部:第56回 それぞれの奮闘

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0501 源平
 頼朝軍と国衡軍との間で攻防が続いている。激しく戦い合う声が、山野に響き渡る。すると俄(にわ)かに、国衡方の陣の後方の山から、ときの声(戦を始めるにあたっての叫び声)が上がった。そして矢が放たれた。「搦め手から、敵が来襲した!」と国衡軍は慌てふためき、大騒ぎとなった。突然のこの事態に意表を突かれた国衡ら武将達は、この背後からの襲撃に適切に対処することもできず、取り乱して逃げ出した。一体何が起こったというのか。
 実は、この戦が始まる前のこと。夜のうちに密かに頼朝の宿所を出ていた者達が、三浦義村らの他にもいたのであった。小山(結城)朝光、そして宇都宮朝綱の郎従である紀権守と波賀次郎などの人々である。案内の者を立てて、国衡軍の背後へと事前に密かに到達していた彼らが、後方からの攻撃を始めたのだった。霧が立ち込め、まだ薄暗くて敵味方を判別しがたいなか、動揺した国衡軍の兵達の多くが逃げ出す。
 さて軍勢が多数逃げ出してしまった状況で、城にとどまっていた若者がいた。まだ13歳の下須房(しもすわ)太郎秀方である。秀方は、金剛別当秀綱の息子で、黒ぶちの馬に乗って敵に相対する姿はかなり目立っている。工藤行光の郎従が秀方と組み合った。行光の郎従が姓名を問うも、若者は言葉を発さない。互角に渡り合った末に、ついに秀方が討たれる。まだ幼い顔をしていたにもかかわらず、大変な剛力の者であったという。その親の秀綱を、小山(結城)朝光が討ち取る。
 退散した兵達は、泰衡の陣へと駆け参じる。そうして阿津賀志山の戦で大敗を喫したことを告げた。報告を受けた泰衡もまた、狼狽して逃げ出した。国衡も、現在逃亡中である。
 頼朝軍の勝利は、士気の高い武士達が、それぞれに戦に貢献して功を立てようと思案を巡らしたことによるものである。先陣の畠山重忠はもちろんのこと、一人ひとりが武威をふるい、命をかけて戦った。なかでも、小山朝光をはじめとする小山氏の目覚ましい活躍を支えた理由の一つに、ある人からの言葉があった。
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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