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源平とその周辺 |2015.08.28

源平とその周辺 第2部:第63回 由利維平の矜持(きょうじ)

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 宇佐美実政に生け捕られて、由利維平(維衡とも)が連れてこられた。しかし、ここで問題が起こった。天野則景も、自分が由利維平を捕らえたのだと主張しているのだ。それで揉めている。頼朝は、藤原(二階堂)行政に、2人の馬と鎧の毛色などを調べさせ、書き留めておかせた。そうして梶原景時に、どちらの言い分が真実なのかを由利維平に尋ねて確認するように、と命じた。景時は立ちながら、維平に聞く。「汝は泰衡の郎従の中でも名の知れた者であるから、偽りを述べるようなこともないとは思うが、事実を正確に申し上げるように。何色の鎧を着けた者がお前を生け捕ったのか」。すると、維平は質問に答えるどころか、激しく憤った。「汝は頼朝殿の家人か。立場をわきまえないもの言いである。故御館(みたち・泰衡殿)は、藤原秀郷将軍の嫡流であり、3代にわたって鎮守府(ちんじゅふ・陸奥国におかれた軍の機関)将軍の号を汲むお方である。汝の主人でさえ、そのような言葉を発すべきではないのだ。いわんや汝と私とでどれほどの優劣の差があるのか。運が尽きて囚人となるのは勇士の常である。頼朝殿の家人だということで、常識を外れたけしからぬ振る舞いをされるいわれはない。答えることはできぬ」。と、このように景時に言い返した。面目を失った景時は、顔を赤くして頼朝の御前に参上した。「あの男は、悪口を言う以外の言葉を持たないので、糾明したくても不可能です」。すると頼朝は言った。「景時が無礼な振る舞いをしたことによって囚人がそれを咎めたのであろうか。道理にかなったことである。早く畠山重忠を召して問わせよ」。そして、畠山重忠が呼ばれた。
 重忠は、毛皮の敷物を自分で持ってきて由利の前に置いて座るよう勧める。そうして礼を正して尋ねた。「弓馬に携わる者が怨敵に囚われるのは、どこにおいても習わしとなっております。恥辱であるとは限りません。頼朝殿の父の義朝殿は横死しました。頼朝殿は囚人として平清盛のもとへ連れられてから伊豆に配流となりましたが、ついに天下を取ることになりました。貴方も生け捕りの身とはなりましたが、深く沈んで恨みを残すべきではありません」。畠山重忠は、囚人である由利維衡に向かって丁重に話しかける。重忠の言葉は、さらに続く。
【写真】
維平が奥州藤原氏に仕えていた時、秀衡から拝領したものと伝わる秋田県由利本荘市の市指定文化財「由利家の守護刀」写真提供=由利本荘市
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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