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源平とその周辺 |2015.09.25

源平とその周辺 第2部:第64回 由利維平の証言

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0925 源平2
 畠山重忠は、由利維平に向かって礼を正して尋ねている。「貴方は奥六郡のうちで武将の誉れ高いお方でいらっしゃいますから、勇士らが勲功を立てるため、自分が生け捕りにしたのだと互いに主張し合っているのです。これにより彼らの浮沈も決定します。何色の鎧を着た者によって捕らえられなさったのか、どうか明らかにしてください」。すると、維平は答えた。「貴方は畠山殿でしょうか。先ほどの男の無礼な振舞いには似ず、礼法をわきまえていらっしゃるお方だ。申し上げよう。黒糸威の鎧を着て、鹿毛の馬に乗っていた者がまず私を捕まえて引き落とした。その後から追ってきた者達に関しては、判然としない」と。重忠が頼朝に状況を詳しく報告したところ、生け捕りにしたのは宇佐美実政だということが明らかになった。頼朝は、梶原景時の対応に憤ったこの人物に興味を持った。「話を聞くに、勇敢な者である。尋ねたいことがあるので連れてくるように」、と重忠に命じる。
 維平が御前に参上した。頼朝が幕を上げて尋ねる。「お前の主人である泰衡は、陸奥と出羽の両国を支配して威勢を振るっていたから討つのに難儀するかと思っていたが、優れた郎従に恵まれなかったためか、河田次郎ひとりのために討たれてしまった。2つの国を統括して17万騎を擁しながらわずか20日のうちに皆、滅亡してしまった。ふがいないことよ」。これを受けて、維平が返す。「優れた郎従も少しはおりましたが、壮士はそれぞれの要害に分けて遣わされてしまいましたし、老いた者は歩行進退が思うようにいかないので自害しました。私のような不肖者は、捕らえられてしまったので最期までお供ができなかったのです。そもそも貴方の御父上の義朝殿は、15か国を支配していらっしゃっていたのに1日としてもたずに零落なさいました。数万騎を率いる主であったというのに、長田忠致に簡単に討ちとられてしまったではありませんか。我が主人である泰衡殿は、ただ2つの国の勇士だけで、数十日間にわたる戦をしたのです。それを不覚であった、などとお決めつけになることなどできないのではないでしょうか」。頼朝は、言葉を発さずに幕を下ろした。そして重忠に命じた。「維平の身柄を預かり、丁重に遇するように」、と。この後、維平は御家人の列に加わることとなる。
【写真】菊池容斎(1781-1878)による『前賢故実 巻第八』(国立国会図書館蔵)で描かれている畠山重忠。「天資敦厚仁勇無私。属頼朝。討平氏征奥州」と紹介が始まる
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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