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ヘッドライン |2021.07.07

薄れゆく
平塚空襲の記憶

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平塚空襲被災後の市内

1945年7月16日、平塚に火の雨が降った。マリアナ基地を飛び立ったB29爆撃機132機から投下された焼夷弾は41万本以上。一夜の投弾数としては全国で2番目といわれる。平塚市の60%を破壊したこの空襲では、363人の命が奪われ、3,263の家屋が全焼、罹災者数は3万5,336人を数えた。終戦から76年を迎える今年、7月16日から平塚市博物館で夏期特別展「平塚空襲 その時、それまで、それから」が開催される。

 終戦から75年を超え、体験者の高齢化も進み空襲の記憶が薄れつつある。平塚市博物館には市民らが主体となって調査・研究、教育普及を行なうワーキンググループが15あり、戦争の記憶を現代に伝えてくれるのが「平塚の空襲と戦災を記録する会」だ。活動は30年以上に及び、証言集『炎の証言』(博物館で有償頒布)の発行も21号を超えた。
 同会による聞き取り調査や資料の研究などの成果も展示される。犠牲者数や焼夷弾の投下数など数字のアップデートがなされたほか、被災状況の復元図や避難経路図も刷新された。これまでも節目ごとに行なわれてきた特別展だが、戦後75年にあたる昨年はコロナ禍により開催ができなかった。その後も調査を重ね、1年遅れの開催にこぎつけた。初出の資料も少なくないということで、タイトルどおり、戦中はもちろん戦前や戦後の地域の様子を感じることができる。
 同館学芸員の早田旅人さんは「空襲というのはその瞬間の出来事ですが、その日に至るまでの経緯というのが現実にはある」と話す。こと太平洋戦争の開戦は1941年12月8日の真珠湾攻撃かもしれないが、その前には1931年の満州事変、1937年の日中戦争があった。戦勝を祝する提灯行列の知らせ(1937年)など、戦争ムードが盛り上がったことを示す資料もあります。その後は物資を供出し、国民が戦争に動員されていくという流れが見て取れます。そして戦後の困窮を示す資料もあるわけです」。空襲は降って湧いた天災ではなく、社会の流れの帰結としてあった。そして空襲もまた敗戦に向けた出来事の1つだ。体験者のなかには「当時は日本は負けるわけがない」と思っていた人もいるという。「丘陵地帯には軍の陣地があり、地域ぐるみで迎え撃つという空気であったであろうなか、戦争を止めることの難しさを感じます」
 今、平塚市民の多くは「戦争を知らない世代」だ。「戦争についての考えはいろいろあると思います。それがどんなものであれ、実態は知っておく必要があります。歴史から学ぶとはそういうことです」と早田さん。記憶を伝えていく意味は、単に「戦争反対」というメッセージだけではない。そこに行き着くまでの社会の流れ、市民の暮らし、そういった部分にこそ本質がある。「今の子たちは何か1つの出来事でスイッチをオンオフするように戦争が始まったり終わったりすると思うそうです。そんな子どもたちやその親御さんの世代など、多くの人に特別展を見てほしいです」
 幅の広い道路や歩道が碁盤の目状に整備された街並みや、平塚のシンボルである七夕まつりは、焼け野原からの復興を目指した、先人のエネルギーが成し遂げた。今の平塚に暮らすからには、その歴史と向き合い、後世に残していく義務があるはずだ。


M50焼夷弾


落下傘を再利用した布。 戦後の闇市で入手したという


平塚市周辺の軍の駐留マップ


昭和13年国民精神総動員実行大講演会


上海陥落祝賀

平塚市博物館夏期特別展 「平塚空襲 その時、それまで、それから」
日 時:7月16日(金)〜9月5日(日)
休館日:月曜日(8月9日は開館、翌10日は休館)
【関連事業】 記念講演会 「二宮・大磯・平塚における日本軍の本土決戦体制」
■講師/市原 誠 氏
■日時/7月25日(日)13時30分〜15時(事前申し込み制)
展示解説会
■日時/7月31日(土)、8月22日(日)13時30分〜14時30分(事前申し込み制)

[問い合わせ]平塚市博物館
☎︎ 0463-33-5111
HP https://hirahaku.jp/

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