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ヘッドライン |2012.08.31

平塚最後の火の見やぐら 市民を見守る庁舎のシンボル

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 大正12年(1923年)に発生した関東大震災にちなんで9月1日が「防災の日」に制定されてから50年余り。近年国内では、大規模震災・津波・洪水などの災害が多く、防災意識を高めていかなくてはならない——。防災の日は「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する日」とされている。その防災の日を明日に控えた今週号は、平塚市庁舎の望楼に関するエピソードをご紹介。
現平塚市庁舎は昭和39年に完成し、敷地内には平塚市役所・議事堂・消防本署が配置されていた。本館の屋上には消防の望楼が建てられ、市庁舎のシンボル的存在となっている。財産管理課の相原信昭さんは「建設当時は、造形作家の故・小野 襄さんのレリーフや望楼など、市庁舎にしては珍しく斬新なデザインということで全国から視察に来たという話を聞いています」という。
望楼勤務
昭和23年、消防庁が発足してから行われてきた望楼勤務は、同所でも本署の消防隊員が24時間体制で市内の看視をしていたとのこと。本署に限らず各分署で行われていた同勤務は「隊員にとって一番辛い勤務だった」と元平塚市消防長の出縄高昭さんは振り返る。
「勤務内容は1人ずつ、1時間交代で看視します。双眼鏡を使って1分間に2周して、怪煙を見つけたら備え付けの電話で知らせるんです。どこの望楼もほぼ屋外でしたし、高い位置にあるから風が強くて真冬は体の芯まで冷えて大変でした。でも重要な勤務でしたし、厳しい勤務にこそ精神的な強さを鍛えられたと思っています」という。
「昔は今と違って空気もキレイだし灯りも少なかったからかなり遠くまで見えましたよ。昼にはドリームランドも見えましたからね」と懐かしそうに笑う。「勤務中、交通事故を見つけてしまうこともありましたね。その時は救急隊に連絡しました。火災を早くに見つけ早急に対応し、被害を抑えることができた時は嬉しかったです」
時代の変化
出縄さんが消防職に就いた頃、同勤務中に発見された火災は年間3件~5件ほどだったという。人々の生活スタイルが変わっていく中で望楼の必要性がなくなってきた。「昔は夜になるとみんな眠っていたけど、24時間街が起きているようになったことで火災に気付いた人が通報してくれるようになったんです。一般家庭に電話が普及したことも望楼勤務がなくなった大きな要因ですね」と話す。
人口が増え、人々の生活スタイルが変わり、建築物の高層化が進むなど望楼の役割を果たせなくなったために市内の同勤務は昭和54年に廃止された。その後、現在まで同所の望楼は30年以上使用されていない。建設中の新庁舎が完成次第、取り壊される本館と共に市内最後の望楼も消える。
防災へ
出縄さんは現在消防職を退き、平塚市防災危機管理課の危機管理アドバイザーとして市内の企業や自治会などで防災講話を行っている。「防災についてそれぞれが意識を高めていってもらうために火災だけでなく震災や原発、津波のことなどの講話活動をしています。行政や誰かを頼りきるのでなく、自分自身の防災意識を高めていってほしいです」と今後も防災意識の大切さを伝えて行く。

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