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源平とその周辺 |2012.12.07

源平とその周辺:第32回 名馬、いけずき

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 頼朝が所有していた評判の名馬。黒栗毛の、太くたくましき馬。その名は、いけずき(生唼・生飡)。生きているものに見境なく噛みつく、という意味だ。だれもが、この馬を手に入れたがった。6万余騎を率いて義仲討伐に赴いている、大手の大将軍の範頼(頼朝の弟)も人を介して所望していた。
 頼朝のもとへ、梶原景季が参上した。「いけずきをくだされば、今回の出陣で宇治川を真っ先に渡って木曽殿を滅ぼしてみせます」と言ってきた。頼朝は思案した。景季に与えようか。景季の父の景時には恩がある。石橋山の合戦で負けて隠れていたところを助けてくれた。だが、人を介していけずきを欲しいと望む範頼に対して、直接自分に交渉してきた景季の振る舞いは、無礼ではないか。「木曽と平家との合戦は、まだ続いている。いけずきは、いざというときに自分が乗るつもりの馬である」。そう言って頼朝は、いけずきに劣らぬ名馬、するすみ(磨墨・摺墨)を景季に与えた。
 その翌日。近江から、佐々木高綱(挙兵時から頼朝に従う佐々木4兄弟のうちの4番目)が頼朝のもとに駆けつけた。頼朝は問う。近江にいた佐々木が、なぜ京都ではなくわざわざ鎌倉まで来たのか。佐々木は答える。「戦場に出れば再び帰参できるか分かりません。そこで御暇を申し上げるとともに、どちらの敵を討ちに行けとのたしかな仰せを承りに参上した次第です。正月5日の早朝に館を出発し、3日かけて鎌倉に参りました。そのために馬をだめにしてしまいました。しかし知り合いもいないので馬を求めることもできないままでおります」。頼朝は、高綱の忠誠心に感じ入り、「木曽追討のために軍を派遣した。宇治と勢多(瀬田)の橋は壊されているだろう。宇治川の先陣をきることはできるか」と尋ねた。「私は近江育ちですので、宇治川の深さや浅さ、淵瀬までも詳しく存じております。宇治川を最初に渡るのは高綱でございます」。思い起こせば石橋山の合戦で大庭軍から逃げていたときに、佐々木兄弟は引き返してきて防ぎ矢を射て、自分を守ってくれた。頼朝は、いけずきを高綱に与えることにした。そして期待をこめて言った。必ず、宇治川の先陣をつとめて名をあげよ、と。
【写真】「日本最古の橋」ともいわれる宇治橋が架かる宇治川(京都府宇治市) 写真提供=宇治市商工観光課
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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