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源平とその周辺 |2012.12.14

源平とその周辺:第33回 高綱の決意

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 頼朝からいけずきを賜わった佐々木高綱は、決意を述べた。「もし戦場にて高綱が生きているとお聞きになったならば、宇治川の先陣をつとめたのは高綱だとお考えください」。だから、何としてでも他人に先を越されるようなことがあってはならなかった。鎌倉を発った高綱は、相模河を渡り、大磯、小磯、酒匂宿を越えて、本来なら2日かかるところを1日で黄瀬河宿に着いた。そして浮島が原で義仲追討軍に合流する。
 梶原景季は、軍勢のなかでするすみが1番の名馬だと得意な気持ちでいた。皆もするすみを褒めそやす。そこを舎人らに引かれたいけずきが通る。いったい誰が手に入れたのか。蒲殿(範頼)か、九郎御曹司(義経)か。すると舎人は佐々木高綱の馬だと言う。「なんと口惜しい。高綱に与えるくらいなら、先に願い出た自分に下さるべきだ。景季に下さらないならば、高綱にも与えるべきではなかった。大将軍ともあろうお方が、不公正なことをされたものよ。よし、高綱と刺し違えて、頼朝様に大損させてやる」。尋常でない景季の様子を見て、高綱は警戒した。頼朝様のおっしゃっていた、「大勢の者がいけずきを欲しがるなかで、景季に至っては直接所望してきたのを断ったのだ。心しておけよ」とは、このことだったのか。
 「その馬はだれから賜わったのか」と尋ねる景季に、高綱は答える。「近江から鎌倉へ参上する際に馬を乗りつぶしてしまったので、鎌倉殿に馬を頂こうと思ったが、自分が願い出たところで頂けるはずもない。だから、ひそかに盗み出してきたのだ」。それを聞いた景季。「やられた。自分も盗めば良かったものを」。事は、回避された。
 1月20日。雪解け水でかさの増した、宇治川。滝のような音を立てて波が逆立つ。義経に、畠山重忠が瀬踏み(川の流れの緩急や深浅を調べて先導すること)を申し出た、そのとき。すばやく、2騎が飛び出した。高綱と景季だ。先に出る景季に「馬の腹帯が緩んでいますぞ」と高綱が言い、追い抜いた高綱に景季が「川底に張りめぐらされた綱に気をつけよ」と声をかける。馬の足に引っかかる綱を太刀で切り払いつつ、急流のなかを一文字に渡りきったのは―高綱。「佐々木の四郎高綱、宇治川の先陣!」。勢いづけられた義経軍は、次々と川に入った。
【写真】府立宇治公園に建つ「宇治川先陣之碑」(京都府宇治市宇治塔川) 写真提供=宇治市商工観光課
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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