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ヘッドライン |2013.01.25

菜の花今昔物語吾妻山公園を彩る黄色い絨毯

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 今は昔、「相模路(さがむじ)の淘綾(よろぎ)の濱の眞砂(まなご)なす児らは愛(かな)しく思はるるかも(万葉集 巻十四 東歌)」と詠まれたように、人々に愛された大磯から国府津にかけて広がる白砂青松の海岸線。それを一望できる吾妻山は今も変わらず人々の心のふるさとだ。その象徴ともいえる菜の花が見頃を迎えている。訪れる人々を一足早い春へ誘う菜の花のストーリー。
 一心にカメラのファインダーを覗き込む人、絵筆片手に画板を抱え込む人、家族連れでお弁当を広げる人…。まだ寒さが身に滲みる季節だが、吾妻山に咲く菜の花は一足も二足も早く春の訪れを告げ、足を運ぶ人を楽しませている。二宮町のシンボルとして遠く県外からの来訪者も絶えない吾妻山。この「菜の花咲く吾妻山」は、とある新聞記者の記事から始まった。
日本一を目指して
 1987年、荒廃が進んでいた吾妻山は当時の町長、故柳川賢二氏をはじめとした町民らの尽力によって公園として生まれ変わった。翌年、有限会社美鈴産業の鈴木忠明氏が管理人に就任。「最初はゴミのない公園を目指しました」とのことで、「気づいた人が拾う」をモットーに厳しく管理を行い、公園の礎を作っていったという。
 ある時、鈴木さんはふとした思いつきで菜の花の種を蒔いた。特別一生懸命に育てようと思っていたわけでもなかったが、秋口にはポツリポツリと花をつけ始めた。  時を同じくして吾妻山を訪れた新聞記者は、その菜の花を見て「日本一早い菜の花?」の見出しで報道した。これを見た読者が大挙したものの、咲いている菜の花はわずか。遥々電車を乗り継ぎ訪れた人らも、これには嘲笑し落胆したという。「ならば本当に日本一早い菜の花を」と発奮した鈴木さんは、当時まだ整備されていない斜面地を切り拓き、菜の花を植えた。「最初は虫害との戦いでそう上手くはいかなくて」と語るように、試行錯誤を続けおよそ5年。ようやく形になり、名実共に「日本一早い菜の花」の公園となったという。
吾妻山の今
 現在は町が直接管理している吾妻山公園だが、管理する人は変わってもその心は変わらない。現在公園管理をする茅沼さんは「大なり小なり変化はありますが、例えばゴミは今でも気づいたらすぐ拾うようにしています。ともあれ大前提は来て下さる方の為に。そこは変わらないです」と笑う。
 万葉の時代から、淘綾の濱を見下ろしてきた人々のふるさと、吾妻山。時代が遷り環境が変わる中、その本質は変わらない。芝生を走り回る子どもたちが大人になり、彼らの子どもが芝生を走り回る時が来ても変わらない、ふるさとの姿がここにある。

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