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源平とその周辺 |2013.02.15

源平とその周辺:第39回 攻める源氏軍

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 生田の森と一の谷で互角に戦う源平両軍。義経は、平家の陣を見下ろす山の上にいた。「義経を手本とせよ!」。流れ落ちるように、一気に崖を下る。垂直の崖の手前までくると、もう進むことも引き返すこともできなくなった。佐原(三浦)義連が進み出る。「この程度の坂、三浦ではいつも駆けておりますぞ!」。真っ先に駆け下りる義連の後に、義経たちが続く。畠山重忠は、馬を傷つけないようにと馬を背負って静かに崖を下りた。
 義経軍の来襲によって背後を突かれた平家は、総崩れとなった。絶対に大丈夫だと安心しきっていた方角からの、まさかの奇襲攻撃。屋形から火の手が上がる。人々は慌てて海へ逃げる。武装した者たちが船に大挙して押しかけたものだから、何艘か沈んでしまった。身分の高い者しか、船には乗せられない。助けを求めて船につかまる雑兵たちは、次々と太刀や薙刀で薙ぎ払われていった。血で海が染まっていく。
 山の手側を守っていた平盛俊(清盛に仕えた平盛国の子)は、70人力と恐れられた屈強の武者。しかしもはや遁れられぬことを悟り、敵を待ち受ける。やってきたのは武蔵国の猪俣則綱(範綱)。組み合った末に盛俊が取り押さえる。則綱は言う。「敵の首を取るときは、自分も名のり、敵にも名のらせてから取るものです。誰だか分からない首を取っても無駄ですよ」と。そして双方名のり合う。則綱はもちかける。「平家はすでに負け戦。私ひとりの首を取っても恩賞はもらえないでしょう。それよりも私をお助け下されば、あなたのお命や親しい方々のことはうまく取り計らいますよ」。そして「投降した者の首を斬るおつもりですか」とも言った。助けてやる、と情けをかける盛俊。2人が水田のあぜ道で語らうところへ源氏の武者が近づく。警戒する盛俊を安心させておきながら、則綱は盛俊の胸をぐっと突いて水田に落とす。味方に手柄を横取りされるわけにはいかなかった。必死にもがく盛俊に則綱が襲いかかる。太刀の先に首をさしてかかげ、叫んだ。「鬼神として名高き平家方の盛俊を、猪俣則綱が討ち取ったぞ!」。功名をたてるためなら何でもする。たとえそれが騙し討ちであったとしても――。
【写真】埼玉県指定旧跡に指定されている『猪俣小平六範綱之墓』(埼玉県児玉郡美里町猪俣)
写真提供=美里町観光協会
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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