カテゴリーから選ぶ
カテゴリーから選ぶ
源平とその周辺 |2013.02.22

源平とその周辺:第40回 追われる平家の公達

タグ

 戦功をあげて恩賞を得るために、東国武士たちは戦う。だから身分の高そうな武者を、必死で探す。相手が高貴であればあるほど、こちらにとっては都合がよい。ただし、それだけ危険な戦いになる。
 立派な姿の武者が、西へ向かって落ちていた。その姿を見つけた岡部六弥太忠澄(武蔵国猪俣党)が声をかける。その武者は言う。「私は味方だ」と。しかし、歯が黒い。味方にお歯黒をする者などいない。平家の公達に違いないと考えた岡部は、挑んだ。相手は大力であるうえに、早業にたけた人物だった。「味方だ、と言ったのだからそう言わせておけばよいものを」。そう言って岡部を引き寄せて斬りつける。岡部は掴まれて危うく首をとられそうになる。そのとき、岡部の郎等がやって来て相手の腕を斬り落とした。観念した相手は「しばし退け。十念を唱えてから斬られよう」と、西を向いて念仏を唱え始めた。が、全てを唱え終わらぬうちに岡部が非情にも首を討つ。一体誰だったのだろう。岡部は箙に結いつけられた文を見た。そこには「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵の主ならまし 忠度」とあった。岡部は自分が平忠度(清盛の弟)を討ったことを大音声で皆に知らしめた。武芸にも歌道にも優れた忠度の死を、敵も味方も惜しんだ。
 生田の森を守っていた平重衡(清盛の子)は、西へ向かって落ちていた。平家に味方をする軍勢は寄せ集めであったため、負け戦となると散り散りになってしまう。今はたったの主従2騎。源氏方の武者は、立派ななりをした重衡達を見つけて追う。宗盛秘蔵の名馬で走り去る重衡。なかなか追いつけない源氏軍が遠矢を射る。馬に矢が突き刺さる。痛がる馬。もう走れない。このとき重衡と行動を共にしていたのは従者、後藤守長(盛長)。幼少のころから死ぬときは一緒だと誓いあった乳兄弟だ。いざというときに重衡が乗り換えるための馬に乗っている。主人に馬をさし出すべき守長は、考えた。自分の乗っている馬をとりあげられるわけにはいかない。逃げよう。一所での死を誓い合った従者に見捨てられた重衡。源氏の武者は、すぐそこに迫っていた。
【写真】討ち取った平忠度のため、後に岡部忠澄が建てた『平忠度供養塔』(埼玉県深谷市萱場)
写真提供=深谷市教育委員会生涯学習課
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

タグ
facebookシェア twitterシェア lineで送る
オンラインマガジン

湘南ローカル情報を日々更新中!

いますぐ使える 最新クーポン

色々な所で使えるお得なクーポンを発行中!

その他のクーポンをもっと見る
湘南ジャーナルDB 湘南のお店情報をまとめて掲載!
湘南ジャーナル まちナビ 最新情報

湘南のお店情報をまとめて掲載!

スタッフブログ

編集部情報を毎週更新でお届けします。

運営からのお知らせ

PAGE TOP