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源平とその周辺 |2014.06.13

源平とその周辺 第2部:第25回 盛久の信心

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0613 源平 平家の忠臣である平盛国の子の盛久は、大胆にも京都に隠れ住んでいた。観音を厚く信仰しており、その信心深さといえば等身大の千手観音を造立して清水寺に奉納したほどである。その観音は本尊の隣に安置されている。盛久は毎日清水寺に参詣していた。京都では、頼朝の命令を受けた北条時政が、討ち漏らした平家を捜し出すために目を光らせている。盛久をなかなか見つけられないでいた時政のもとに、ある者が密告した。それによって盛久が毎夜清水寺に参詣しているという事実が露見した。北条方に召し捕らえられた盛久は、東国へと連れて行かれることになる。平家一門と共に壇ノ浦で果てていれば、このような憂き目にも遭わずに済んだものを……と嘆く盛久。頼朝に召し出された時には、平家代々の家人であるという理由で斬首刑と決まった。
 文治2年6月。斬り手は土屋三郎宗遠である。処刑場である由比ヶ浜に引き出された盛久は念仏を唱える。宗遠は、太刀を抜いて盛久の首を狙う。刀を振り下ろそうとしたその瞬間。なんと、太刀が折れてしまった。再び他の太刀で臨むが、その太刀もまた、折れしまって用をなさない。
 驚いた宗遠は、頼朝のもとに使者を送る。すると、頼朝の妻である政子(北条時政の子)が不思議な夢を見たと言う。墨染めの衣を着た老僧が現れたので、政子が「どちらさまでしょうか」と問うたところ、「私は清水寺の辺りに住む僧である」と答えた。さらにその僧は、「どうか盛久を斬首しないでください。彼の罪を赦してやってください」と請うたという。それを聞いた頼朝は心を動かされた。今聞いた土屋宗遠の使者による報告と、政子の夢とを考え合わせてみると、清水寺の観音が盛久を守ったとしか思えないではないか――。
 召し返された盛久は、赦された。その上、以前に保有していた領地の所有権も認められることになった。後になって分かったのだが、由比ヶ浜で盛久が斬られそうになっていたちょうどその頃、清水寺では彼が安置した観音が倒れてその手が折れてしまった、ということであった。
【写真】土屋三郎宗遠の館があった場所。現在は畑が広がっている(平塚市土屋)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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