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源平とその周辺:第35回 義経の入京

宇治を破った義経軍が、京に入ってきた。また、範頼の軍勢も、稲毛重成(のちに亡き妻の供養のために相模川に橋を架ける人物)の計略で勢多(瀬田、滋賀県大津市)を突破して、京に迫っていた。宇治と勢多の両方が破られたと聞いた義仲は、驚愕した。もはやこれまでか、と悟った義仲は、別れを告げにある女性に会いに行った。女性との名残を惜しんでなかなか動こうとしない義仲に、家来は「敵がすぐ近くまで迫っています。急いでください」と、せかす。しかし絶体絶命のこの時に、まだ義仲はぐずぐずしている。家来は覚悟を決めた。「それでは、お先に参ります。死出の山にて、お待ち申し上げております」―。そう言って、腹を掻き切って死んだ。家来の自害によって、ようやく心を動かされて腰をあげた義仲。今日が最後の日だ、と思いながら六条河原で次々に攻めてくる東国軍と戦った。
義経は、後白河法皇のいる六条の御所(後白河法皇の近臣・平業忠の邸)へと急いだ。義仲が戻ってくるのではないかと怯えていた法皇側の人々は、義経の参上を大層喜んだ。義経をはじめとして、居並ぶのは畠山重忠、佐々木高綱、梶原景季など、いずれも面魂や体格が立派な若武者たち。法皇は心強く思った。そして義経たちに、御所を守護するように命じる。万一のときには法皇をお連れして北国に下ろうという心づもりでいた義仲は、義経たちが御所を厳しく警護していると聞いて、断念。そして押し寄せる東国の武士たちに、危うく討ちとられそうになりながらも、奮戦した。
義仲は思った。平家を都落ちさせて入京してきたのが、つい半年ほど前のこと。あのときは、5万余騎の大軍を率いて北陸道を駆け上ってきた。それがいまでは、たったの7騎……。だが、ここで討たれるわけにはいかない。自分には、死なば一所で、と心に決めた乳兄弟がいるのだ。最期に、もう一度だけ彼に会いたい。会ってから死にたい。だから義仲は、勢多へ向かった。
【写真】『元六條御所』の碑が建つ長講堂(京都市下京区)
写真提供=kyoto-design.jp
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。
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