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ヘッドライン |2015.01.09

地域の宝、真土大塚山古墳真土神社参道に三角縁神獣鏡の碑を建立

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 今は昔、80年前の昭和10年3月のこと。その土地の住民が松の根を掘っていると、銅鏡や銅鏃(やじり)、直刀などが出てきたという。中でも、全国的にも珍しくほぼ完全な形の「三角縁神獣鏡」が出土したことで、この遺跡は古代史にその名を連ねることとなる。「真土大塚山古墳」(平塚市西真土)。この遺跡がある真土地区では先月17日、真土神社(東真土)の氏子や地域住民らによる戦後70周年記念事業として、神社参道に「神獣鏡の碑」が建てられた。土地の人々が後世に伝えていきたいと願う地域の宝──。今週は、その遺産を改めて紹介する。
取材協力=平塚市博物館
参考資料=『真土大塚山古墳出土 三角縁神獣鏡を訪ねて』(齋藤靖彦著)
真土の三角縁神獣鏡
 古墳時代前期、4 世紀のものとされるこの神獣鏡の名を正式に称呼すれば「三角縁四神二獣鏡」と言う。鏡径22.1cm。その名が示す通り、鏡の縁の断面が三角形であり、文様として古代中国の神仙思想に基づく東王父や西王母などの4体の神仙像、龍と虎の2頭の瑞獣が半肉彫で表現されている。
 またその周囲には、平塚に初めて紹介された最初の漢字ともいわれる「陳是作竟甚大好 上有王父母 左有倉龍右白虎 宜遠道相保」というめでたい吉祥句も刻まれている。漢詩のように脚韻を踏むこの銘文は「陳が是に作りし鏡(竟)は甚だ大きく好し 上に王父母有り 左に蒼(倉)龍、右に白虎有り 宜しく遠き道、相保つべし」と読む。意味は「私、陳が作りましたこの鏡はとても大きくて大変おめでたいものです。上のほうには道教の2大神である東王父と西王母をデザインし、左側には蒼龍、右側には白虎、それぞれに神獣をデザインしてあります。この鏡を持つ者には子々孫々にいたるまで永く繁栄がもたらされます」(訳:平塚市博物館)となる。では、この鏡の価値はどこに──。
5面の同笵鏡
 三角縁神獣鏡自体は、全国で400面以上が発掘されている。ただ、真土大塚山古墳から出土した鏡の同笵鏡(同一の鋳型で作られた鏡)は椿井大塚山古墳(京都府)の1面、備前車塚古墳(岡山県)の2面、権現山51号墳(兵庫県)の1面が確認されているのみだ。特に、32面以上の三角縁神獣鏡が出土するなど、ヤマト政権の中枢にいた人物が被葬者と考えられている椿井大塚山古墳のものと同笵鏡であることから、真土から出土した鏡は「平塚の地がヤマト王権と深い繋がりがあったことを示す貴重な資料」とされるのである。
 なお真土大塚山古墳では、昭和10年~11年の調査の後、(盗掘もあったそうだが)昭和35年~36年にも調査が行われ、平成22年に市の重要文化財として指定された「変形四獣鏡、勾玉、算盤玉、管玉、銅鏃など」といった副葬品も多く出土した。平塚市博物館の栗山雄揮学芸員は「確かに『目玉』は三角縁神獣鏡なのですが、その他にも貴重な資料が出土しており、古墳自体が地域の歴史として非常に意味深いものである、と言えるでしょう」と指摘する。
後世へ
 このまちにある、歴史的価値のある古墳。現在その場所は宅地開発が行われ、遺跡を目にすることはできないが、北側の地に開設された「真土大塚山公園」(西真土)には古墳が再現されている。在りし日の姿を知る地域住民のひとり、伊藤栄雄さんは「昔からここ(真土)の人は大塚山古墳に対して畏敬の念を抱いてきました。地域でその大切さを感じ合って心を一つにしてきたんですね。ですから若い人にも地域の財産を知ってもらい、子孫の末代まで大事にしていってほしい」と話す。そして願わくは、真土のみならず「平塚の財産」として後世に伝えていってほしい、と。そんな想いも託し、今回の碑は建てられた。
【写真上】真土大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡(東京国立博物館蔵/齋藤靖彦さん撮影)
【写真下】=真土神社の参道に先月建てられた碑

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