カテゴリーから選ぶ
カテゴリーから選ぶ
源平とその周辺 |2014.02.07

源平とその周辺 第2部:第8回 宗盛と清宗

タグ

0207 源平 宗盛父子は、義経に伴われて再び京都を目指すことになった。鎌倉で処刑されるのではないかとびくびくしていた宗盛は、ひょっとすると都へ帰ることができるかもしれないと淡い期待を抱いた。しかしやはり不安はぬぐえず、道々で「ここで斬られるのではないか」と恐れた。義朝(頼朝や義経の父)が謀殺された尾張の国を過ぎるときには緊張したが、処刑されずに済んだ。「もしかしたらこの命、助かるかもしれない」と宗盛は思う。子の清宗は「暑い時分だから首の腐敗を考慮して都近くで斬るつもりであろう」と考え、一途に念仏を唱えていた。
 近江国の篠原宿に着いたときに、宗盛と清宗は引き離されて別々のところに置かれた。義経が招いた上人(高徳の僧)を前に、宗盛は述べる。「清宗はどこにいるのですか。17年間離れることのなかった子です。壇ノ浦で死なずに結果的に恥をさらすことになったのも、彼と同じところで死にたいと思っていたからなのです」。そう言って泣く宗盛に対して、上人は説く。「この世では生まれる者は必ず死に、会う者は必ず別れるという運命にあるのです」。そして、「浄土を願うこと以外、考えてはいけません」としきりに念仏することを勧める。宗盛は何とか雑念を振り払って西に向かい念仏を唱える。太刀を抜いた橘氏の者が後ろに立つ。それを見た宗盛、念仏をとどめて思わず口に出した。「清宗もすでに斬られましたか……」。言い果てぬうちに刀が振り下ろされた。上人も、処刑した橘氏(平家の家人だったが今は源氏についていた)も、涙をこらえることができなかった。念仏を唱えていたにもかかわらず、死の間際に俗世への気がかりを口にされるとは――。なんと残念なことをしたものよ。
 さて一方の清宗。念仏を唱えながら上人に父の最期の有様を尋ねた。上人は、「立派な御最期でいらっしゃいましたよ」と答えた。そう答えるしか、なかった。清宗は喜んで、「もうこの世に思い置くことはありません。早く斬ってください」と促し、落ち着いた態度で斬られた。宗盛父子の首は義経が都へ持っていくことになり、胴体は父子一緒に葬られた。宗盛は眠る。死ぬ間際まで気にし続けた、最愛の息子と一緒に。
【写真】平宗盛・清宗父子の遺体が埋められたとされる場所。『平宗盛卿終焉之地』の墓標が建つ(滋賀県野洲市大篠原)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

タグ
facebookシェア twitterシェア lineで送る
オンラインマガジン

湘南ローカル情報を日々更新中!

いますぐ使える 最新クーポン

色々な所で使えるお得なクーポンを発行中!

その他のクーポンをもっと見る
湘南ジャーナルDB 湘南のお店情報をまとめて掲載!
湘南ジャーナル まちナビ 最新情報

湘南のお店情報をまとめて掲載!

スタッフブログ

編集部情報を毎週更新でお届けします。

運営からのお知らせ

PAGE TOP