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ヘッドライン |2014.08.29

平塚に残る「お菊」伝説番町皿屋敷のルーツを追う

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0829 1面 お菊さん
 井戸から夜な夜な聞こえる「いちまい……にまい……」と声、といえば怪談で有名な番町皿屋敷。四谷怪談、牡丹灯籠と並ぶ日本三大怪談の1つに数えられることも多い傑作だ。この皿屋敷の物語で中心となるお菊という女性、全国各地に似たような「お菊伝説」が残るが、一説には平塚出身といわれている。紅谷町には「お菊塚」なる石碑があり、立野町晴雲寺の墓地には今もお菊の墓が残っている。今週は暑い夏をほんの少し涼しくしてくれる怪談話と平塚に伝わる伝承を紐解く。
取材協力=平塚市博物館市史編さん室

 改めて皿屋敷とはどんな作品か。最も有名なのは、江戸の旗本屋敷に勤めていたお菊という名の美女が家宝の皿を紛失したと濡れ衣を着せられ惨殺される。無実の罪で殺されたお菊は亡霊となり屋敷の井戸から夜な夜な皿を数える女の声が聞こえ……といったストーリーだろう。怪談にとどまらずこれに色々な要素が付け加えられ、浄瑠璃、歌舞伎、恋愛悲劇として仕立てられた戯曲、果ては落語まで様々な形で知れ渡っている。
平塚のお菊伝説
 では平塚に残るお菊伝説とは。時は元文5年(1740年)、お菊は平塚宿の役人、真壁源右衛門の娘で江戸の旗本青山主膳方へ奉公に出されていた。主膳の家来がお菊を見初めたものの、お菊がいうことを聞かないことを恨み家宝の皿を隠し主人に告げ口、その咎でお菊は手打ちにされてしまう。馬入の渡場で遺体を引き渡された父、源右衛門は「あるほどの花投げ入れよすみれ草」と言い絶句したという。源右衛門は刑死人の例にならい墓を作らず、センダンの木を植えて墓標とした、というもの。しかし日本全国に似た様な話がある上、これより以前から皿屋敷の物語があったという説もあり、平塚のお菊がオリジナルかどうかは疑う向きもある。
お菊の霊が?
 ではこのお菊は後世の創作や伝承の域をでないのか。お菊の墓は現在の紅谷町公園にあり、戦災前までは大木の生い茂る不気味な場所で「代官の墓所」「お菊の墓所」などと呼ばれていた。
 昭和27年、戦災復興の区画整理に伴い、お菊の墓は共有墓地への移転が決まった。これを機に研究家らが墓地跡を発掘したところ頭蓋骨が2つ見つかる。その内の1つは小顔で歯並びも良く、おそらくは若い娘のもの。「あのお菊さんが出た」と騒ぎになり、当時の新聞もこれを取り上げた記録が残る。墓所はその後公園となり、お菊を偲びお菊塚が建てられた。さらに時を経て昭和35年頃、子どもの遊び場になりお菊塚はすっかり荒れ果ててしまった。すると近隣住人が「お菊さんが夢枕に立った」と言い出し、当時の関係者が塚の再興に奔走したということも当時の新聞に残っている。
 ことの真偽はさておき、お菊さんが皿を9枚まで数えるのを聞くと死んでしまうという伝説も。もし出逢ったとしても見惚れるのは程々に。
【トップ写真】紅谷町公園に残るお菊塚
【写真】紅谷町公園全景/晴雲寺外観

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