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源平とその周辺 |2014.11.28

源平とその周辺 第2部:第41回 盛長がかつて見た夢(2)

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1128源平 頼朝の流人時代の話である。真名本『曽我物語』は、盛長の夢の後に頼朝と政子が見た不思議な夢についての物語を載せる。政子は語る。「権現の御宝殿から授かった大きな唐の鏡を袂に収めて石橋を下り、箱のふたを開けてみたら日本六十余州が鏡の表面に顕れて見えたのです。それで殿(頼朝様)にそのことを申し上げたところ、『その鏡は女房の宝であり私の関与するところではない』と言われました。そして二人で一緒に石橋に向かって坂を走り下ったという夢です」。政子は「もしやこれは頼朝様の御治世の後に、後家として日本国を支配するというお告げでしょうか」と言って笑った。実際に政子は頼朝の死後に鎌倉幕府において重きをなし、尼将軍などとも呼ばれるようになるが、これはまだ先の話。
 さて、このやりとりを受けて大庭景義が言う。「非常におめでたいことです。頼朝様と政子様の御夢については畏れ多いために触れませんが、盛長が見た夢に関して私が夢合せを致しましょう」。景義は説明する。「まず、君(頼朝様)が足柄の矢倉嶽にいらっしゃったというのは、足柄明神の矢作大明神の御利益によって敵を討ってご先祖の八幡殿(源義家)の跡を継ぎ、東西南北を従えて居所を東国にお選びになるという御示現です。頼朝様がお酒を三度召しあがったというのは、現在はまだぼんやりと酒に酔っているようなお立場ですが長くて三年、短くて三か月のうちに酔いから醒めて本意を遂げ、展望が開けていくことを表わしています。左足で東国外が浜を、右足で鬼界が嶋(貴海島)をお踏みになっているというのは、東は奥州藤原氏を、西は平家を滅ぼして思いのままに知行されるというお告げです。左右の袂に月日を宿すとは、天皇・上皇を補佐し日本の大将軍におなりになるということです。小松を三本挿頭(かざ)していらっしゃるのは、御子孫三代までその威を天下にお示しになることを意味しております」。景義の夢解きは頼朝を大層喜ばせた。そうして夢のお告げ通りに勢力をつけていった頼朝は、既に西の鬼界が嶋を平定。次に狙うは、奥州藤原氏。手ごわい相手ではあるが、義経を匿(かくま)っていることを大義名分として、圧力をかけていけるはずだ。
参考文献 『真名本曽我物語1』(東洋文庫 平凡社)
【写真】 懐嶋(ふところじま)郷(現・茅ヶ崎市)を領した大庭景義が住んだ懐嶋館址に建つ景義像(茅ヶ崎市円蔵、神明大神宮境内)
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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