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ニュース |2020.07.08

七夕と共に歩んだ70年

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2020年は湘南ひらつか七夕まつり70回目の記念の年。
だが言わずもがな、開催は延期に。
平塚の戦後は、七夕と共に歩んできたと言っても過言ではない。
その歴史を今一度、振り返る。

 

戦後の復興期に生まれた“街の誇り”は 今や平塚の名を全国に発信する一大イベントに

1950年に開催された「平塚復興祭」をルーツに、1951年に初開催された「七夕まつり」。 戦後復興、高度成長期、バブル期と激動の昭和を経て、阪神大震災、新世紀、東日本大震災と波乱の平成、 そして令和へと歩んできたまつりの70年間を一挙にプレイバック。 これを知って、来年改めて開催されるはずの第70回をもっと楽しもう!

1950年代
七夕まつりの誕生 街と共に急成長を遂げる

第2回七夕まつり(1952年)

 中国の牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)の伝説に端を発し、学問の上達や恋愛成就を祈る風習へと変わっていった七夕まつり。1945年の大空襲で焦土と化した平塚は「戦災復興五ヶ年計画」を経て、1950年に「平塚復興祭」を開催する。多くの人出でにぎわったこのまつりの開催を機に、仙台の七夕まつりを参考にした「平塚七夕まつり」は始まった。当初の開催期間は5日間(1952年〜)とはいえ、7回目には延べ150万人の人出を数えるまでに急成長する。

1960年代
東京五輪で国際色豊かに 臨時列車「七夕号」も運行

第13回ミス七夕(1963年)倍賞千恵子さん

第10回 現在の四ツ角付近(1960年)

1963年

 まつりの規模は年々拡大していき、仙台七夕に比肩するほどに。国道(現在の旧国道1号)沿い約1kmに303本もの飾りが掲出(1963年)され、「七夕号」と名付けられた臨時電車が運行される(1967年)ほど。人出も年々増えていき、毎年200万人以上がまつりに訪れるようになる。1964年の東京五輪前後には、海外からの訪日観光客もまつりを訪れた。1964年のパレードには、なんとミスアメリカやミスロングビーチが特別参加したという。

1970年代
20周年の人出は300万人超え おなじみの“あの”名曲も誕生

第22回ミス七夕 松坂慶子さん、流由果実さん 

第27回(1977年)の竹飾り

 見るより聞くより踊るもの〜♪といえば、平塚市民なら子どもの頃から慣れ親しんだメロディ。この『七夕おどり』はまつりの20周年を記念し、1970年に誕生。来場者数は330万人を数えた。8月に会期を変更したり(1973年)、市が主催していたまつりが中止になったり(1974年)したのもこの時代。現在は織り姫セレクションとなったミス七夕公募には250人以上が応募(1977年)、平塚駅では開業以来最高の乗降客数を記録(1979年)した。

1980年代
平塚市制50周年 時代は昭和から平成へ

当時のスタッフ着用アロハシャツ

第30回(1980年)の竹飾り

ゴミを掃除する人々

 1982年には市制施行50周年を記念した盛大なまつりが行なわれた。加速する竹飾り競争を受け、自主的な掲出基準が設けられた(1983年)ことも。飾りも世相を反映したものが増え、ロサンゼルス五輪、童話や当時人気のテレビ番組などがテーマになった。市民プラザ前には七夕フェスティバルステージが登場。現在も続く、飾りを見るエリア、露店を楽しむエリア、イベント会場といったエリア分けが明確化(1986年)する。時代は昭和から平成へ移り変わり、駅周辺の整備も大きく進んだ。

1990年代
史上最高の延べ361万人が来場 天皇皇后両陛下のご成婚が話題に

第40回(1990年)の竹飾り

第46回(1996年)パレード

第45回(1995年)の七夕太鼓

 これまでの歴史では、七夕の絶頂期ともいえる90年代。現在も続く「湘南ひらつか七夕まつり」へと名称が変更された1993年には史上最高の361万人の人出を記録するほどに。300万人を下回ったのは雨にたたられた1998年のみ。世相を反映した飾りも健在で、現在の天皇皇后両陛下が皇太子皇太子妃だったころのご成婚を祝う飾りや、スポーツのスター選手などにちなんだ飾りが掲出された。一方で、市民ボランティア団体による竹飾りの掲出やイベントも多くなり始める。

2000年代
まつりはついに半世紀 一方で人気に陰りも

第50回(2000年)の竹飾り

今も続く、「星に願いを」短冊コーナー

パレードにはハーレーも登場(2000年)

 2006年には開催期間が4日間に変更され、七夕の花ともいえる竹飾りも減少が心配されるようになり始める。だが市民協賛竹飾りや子ども飾りが積極的に掲出され、最盛期並みのにぎやかさを保つ。天候に恵まれない年が目立ち、おどりパレードが中止になるなど(2003年)来場者数が300万人を下回る年もちらほら。交通規制や竹飾りの消灯時間など、より安全で安心して楽しめるまつりの開催が模索されるようになるが、暴力団同士の銃撃抗争事件が発生し死者が出る(2009年)など、悪いニュースも。

2010年代
東日本大震災の影響は七夕にも 今なお続く3日間開催が定着

規模は縮小したが飾りは例年どおり

七夕プロレスなどの新しい試みも

 2011年、東日本大震災による影響で、一時は開催が危ぶまれるほどに。しかし主催者を市から実行委員会に変更し、日程・時間・区域等の規模を縮小してまつりは開催された。戦災復興への地元商店主らの心意気として始まったまつりも、東日本大震災からの復興という形にシフト。会期こそ3日間となったが、平塚青年会議所や平塚商工会議所青年部など、若い市民が積極的にまつりを盛り上げるようになる。竹飾りの減少も進むが、さまざまな取り組みを経て、今なお続くまつりの形を再構築する時代となった。

2020年代
70周年を襲った悪夢 七夕は次のステージへ

星に願いをプロジェクトはまちかど広場にモニュメントを設置

 7月3日〜5日を会期に開催を予定していたまつりは、ご存知のとおり新型コロナウイルスの影響で中止に。70周年の記念すべき年に、初の開催中止となった。だが、ここでも立ち上がったのは地元の商店主たち。星に願いをプロジェクト、空いっぱい飾りプロジェクト、#エア七夕平塚など代替イベントが多数開催された。コロナの脅威にさらされながらのまつりの開催は、七夕まつりがまた新たな道を歩み始めるきっかけになった。

※一部写真は『湘南ひらつか七夕まつり50周年記念誌』より

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