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源平とその周辺 |2012.10.19

源平とその周辺:第25回 義仲の入京

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 池禅尼(平頼盛の母)が自分の命を助けてくれた恩を、頼朝は忘れていなかった。頼朝は、「決して池殿(頼盛)の侍には弓を引くな」と兵たちに言い含めていた。頼盛は、その情けにすがることに決めた。平家一門と決別した頼盛は、不安な気持ちでしばらく都に留まったのちに鎌倉へ下る。一方、都落ちした平家は、かつて一時的に都だった福原をも焼き払って西国へと赴いていた。
さて、比叡山にいた後白河法皇が、都へ戻る。木曽義仲と源行家も入京。安徳天皇を西国へと連れ去られた朝廷は、新たなる天皇をたてることを考えていた。義仲は、源氏に挙兵を促した以仁王の遺児、北陸宮を推していた。しかし、後白河法皇は、四の宮(高倉の子)を皇位継承者と決定。天皇の正統性を証明する3種の神器がないまま、後鳥羽天皇が誕生した。都と西国、2人の天皇が存在するという異例の事態。平家は後白河法皇を都から連れ出せなかったことを改めて悔いた。
 『平家物語』では、都のしきたりや作法を知らない義仲を愚弄した形で話が展開される。猫間中納言の来訪時には無理に昼食を勧めたり(1日2食の貴族は朝食を遅めにとる)、牛車の乗り方も分からなかったりと、粗野な田舎者として嘲笑され、蔑まれる義仲。義仲の兵たちの狼藉行為も都の人々から反感を買っていた。
 そんな義仲に下ったのが、平家追討の命令。一旦は九州へと逃れた平家も離反や謀反が相次いで苦戦を強いられ、今は屋島に拠点を定めていた。そして迎えた水島の合戦。平知盛(清盛4男)や平教経(清盛の弟教盛の次男)が率いる1000余艘の船が源氏を襲う。平家方は船をつなぎ合わせて板を渡し、自由に歩けるようにして戦った。源氏は2人の大将を失って惨敗。海戦を得意とした平家の面目躍如たる戦いぶりであった。
 今まで快進撃を続けていた義仲の敗北。そのような苦境のなか、許せぬ事態が起きた。後白河法皇に取り入ろうとする行家の讒言。結びついていた後白河法皇と頼朝。着々と都に歩を進める義経。義仲は、完全に孤立した。
【写真】合戦中に起きた日食を表すマークも付けられている『源平合戦水島古戦場』の碑(倉敷市玉島柏島) 写真提供=倉敷市
 
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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