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コネクト |2012.10.19

CONNECT:平塚で暮らしていた?美貌の天才ヴァイオリン少女 諏訪根自子さん

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 去る9/24各マスコミが、とあるヴァイオリニストが脳梗塞後遺症のため死去していた、と報じた。亡くなっていたのが発覚したのは諏訪根自子さん、享年92歳。彼女は小野アンナ、アレクサンドル・モギレフスキーに習い、12歳でデビュー。可憐な容姿も相まって日本中に「天才少女」ブームを巻き起こした。その美貌と演奏技術で戦前から戦後にかけて、一世を風靡し日本人で初めて国際的に活躍した。そんな彼女は一時期、平塚で暮らした事があるという。
 昭和9年1月5日の横浜貿易新報(現在の神奈川新聞)にこんな見だしがある。「諏訪根自子さん/近く巴里へ/父の怒りも氷解して/暫く平塚海岸に静養後(/は改行)」。確かに平塚の記載がある。さらにこのことは深田祐介・著「美貌なれ昭和」の中に記載がある。当時13歳の彼女は既に国内でちょっとした有名人。しかし、父に暴力を振るわれ、昭和8年の暮れ、ついに母と弟妹と共に平塚へ出奔する。これを当時の新聞がこぞって取り上げ、彼女は悲劇の天才少女としてさらに名を馳せることになる。同著には実際には暴力はなく、「根自子をめぐる教育方針の問題」や「父・順二郎の女性問題」が家出の理由であると記載がある。父が愛想をつかされた形だが家出自体は事実であり、4カ月あまりではあるが平塚に暮らしたのも事実のようだ。また、この家出は結果的に音楽環境の整備に一役買ったようで、両親の不仲が原因で疎遠になっていたモギレフスキーとの師弟関係も修復したという。
 その後、彼女は外務省の後援で欧州へ留学、太平洋戦争を経て、帰国後もヴァイオリニストとして活躍した。一時、第一線を退くも1980年頃から音楽活動を再開。この家出事件がきっかけなのか、平塚でコンサートを行った事もあるそうだ。もう80年以上昔のことだが、当時を知る人がいれば是非話を聞いてみたい。

取材協力:平塚市博物館市史編さん室
参考文献:深田祐介「美貌なれ昭和」文藝春秋、1983

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