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源平とその周辺 |2012.04.27

源平とその周辺:第3回 助けられた命―頼朝と義経

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〈義朝の三男、前右兵衛佐頼朝が、尾張守平頼盛の手で生けどられ、六波羅に引かれて来た。それとともに、同じく次男、中宮大夫進朝長の首も、六波羅へ届けられた。〉『平治物語』(引用文献『日本の古典 平治物語』河出書房新社)
 源頼朝は義朝の三男で、母は熱田大宮司藤原季範の女。嫡男の扱いだったため、初陣となるこの平治の乱では、源家重代の武具で秘蔵の宝である「源太が産衣」という鎧と、「髭切」と名付けられた太刀を身に着けていた。
 義朝一行とはぐれてしまっていた頼朝は、平頼盛の郎等の手で生け捕られて六波羅の平家のもとへ連れて行かれる。父義朝、兄の義平、朝長の首は獄門に懸けられ、当然頼朝も死罪となるべきところだった。しかし清盛の継母の池禅尼が、頼朝がまだ幼くて信心深いことや早世した息子の家盛(頼盛の兄)に頼朝が似ていることなどを理由に助命を嘆願したため、死罪をまぬがれて伊豆国の蛭ヶ小島へ流されることになった。後年清盛はこの処置を悔い、自分の死後は仏事をしたり堂塔を建てたりなどせずともよいから「ただ頼朝の首をはねて自分の墓に懸けよ」と遺言して亡くなる。
 まだ幼い義経(牛若)と兄たち(今若、乙若)は、母の常盤御前とともに逃げて大和国に身を隠していた。しかし常盤の母親が平家に捕らえられたため、常盤は六波羅に子供たちを連れて出頭し、清盛と対面した。子供たちを斬るならばまず自分を先に殺してくださいと願い出る常盤。清盛は子供たちに出家をさせることを条件に助命することにした。宮中の美女千人の中でも第一の美人として選ばれたことのある常盤は、清盛の寵愛を受けてのちに女子をもうける。母の美しさのおかげか、年上の頼朝がすでに助命されていたためか、ともあれ命を救われた義経は鞍馬山に入った。
写真:蛭ヶ小島(現在は蛭ヶ島と呼称)の地に整備された「蛭ヶ島公園」(静岡県伊豆の国市四日町17-1)。写真提供=伊豆の国市観光協会
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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