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源平とその周辺 |2013.03.01

源平とその周辺:第41回 若武者の覚悟

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 信頼していた従者に見捨てられた重衡は、自害しようとしたところを捕らえられた。平家の公達が、次々と源氏軍に追いつめられていく。琵琶の奏者として有名な平経正(経盛の嫡子)も、討ちとられた。
 経正の弟の敦盛は、沖に浮かぶ船を目指して馬を泳がせていた。源氏方の熊谷直実が、引き返してくるよう呼びかける。戻ってきた敦盛を待ち受ける熊谷。波打ち際で馬を押し並べ、組みあって落ちた。熊谷が押さえつける。首を斬ろうと兜をどけてみれば、16か17歳ほどの美しい若武者だった。薄く化粧をして歯を黒く染めている。「どのようなお方でいらっしゃるのですか」と尋ねる熊谷。「そういうあなたはどなたですか」と熊谷の名を聞いたうえで、「あなたのためにはよい敵だ。私の首を取って人に聞けば、誰だか知ることができよう」と言う。熊谷は思う。我が子の小次郎が今朝の戦で負傷したのでさえつらいのに、この殿が討たれたら親はどんなに悲しむことだろう。この殿ひとりを見逃したからといって、源氏が勝つはずの戦にいまさら負けることもない。なんとか助けてあげたい。熊谷は後ろを振り返る。だがもう土肥、梶原の軍勢が近づいてきていた。「お助け申しあげたいと思ったが、味方の軍勢が来てしまいました。もう逃れられません。あなたの死後の御供養は私がきっといたしますから」と、熊谷は泣く泣く敦盛の首をとった。若武者の懐中から出てきた笛を見て、熊谷は知る。夜明けを待つ間、一の谷の城中から聞こえてきた管弦の調べは、この殿たちが奏でていらっしゃったのか。東国軍は何万騎といても、合戦の場に笛を携えている人などいない。平家の公達はなんと優雅で風流であることか――。
 さて生田の森の大将軍であった平知盛(清盛の子、重衡の兄)は、嫡子の知章(ともあきら)と家臣の監物(けんもつ)頼方と主従3騎で浜へ向かっていた。武蔵国児玉党が追ってきた。知盛が襲われる。知章は父を助けるために敵の中に割って入った。監物も奮戦する。その隙に、知盛は海上の船を目指して馬を走らせた。知章と監物は、勇敢に戦った末に討死する。知章、16歳。父は、戻ってこなかった。
【写真】熊谷駅北口ロータリーに建つ『熊谷之次郎直實像』(埼玉県熊谷市筑波)
写真提供=熊谷市
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。
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