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ヘッドライン |2013.09.06

龍城ケ丘プールが閉鎖市営76年の歴史に幕

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 76年という長きに渡って市民の憩いの場として親しまれてきた龍城ケ丘プールが8月18日に最後の営業を終えた。昭和12年「都市開発公園湘南海岸公園」の一部として誕生した同プールは、戦前から戦後、昭和から平成にかけて多くの地元民に愛されてきた。しかし時代が移り行く中で施設は老朽化し来場者も減少していった。閉鎖が決まり同地は今後どうなっていくのか。多くの利用者とともに、そこに有り続けた海岸線のプールの歴史を紐解く。協力=平塚市博物館市史編さん室
大正13年、オランダアムステルダムで開かれた国際都市計画会議で採択された「都市の過大膨張防止のための7ケ条」は日本国内にも導入され、地域計画の考え方が普及した。この考えに基づき神奈川県でも海岸線の開発計画が整備されることになる。現在の国道134号の西側である県道片瀬大磯線は「湘南遊歩道路」や「湘南パークウェー」と呼称され、その周辺の施設も順次計画されていった。沿線の計画の中で、平塚市域においては昭和12年に千石河岸から撫子原の海岸線を開発する「都市開発公園湘南海岸公園」が計画される。龍城ケ丘プールはこういった開発計画の一環として誕生した。当時の名称は「平塚海水浴場プール」。海水をそのまま引き入れた海水プールで、当時としては珍しい競争用50mプールの他に、婦人用と小児用の20mプール、海の家などが建てられた。同年7月に行われた竣工式には当時の県知事や各大学の水泳選手などが招待されたと記録が残る。
地元民に愛されて
誕生以来多くの人に愛されたプールだが、戦後は米進駐軍とその家族のプライベートプールとして接収される。その後、戦後復興に従い返還のための運動なども行われたといわれ、その甲斐もあってか昭和27年に接収が解除される。海辺のプールということでロケーションも良く、当初は平塚で唯一のプールということもあり、一夏で9万人を超える来場者が訪れたと昭和36年の『広報ひらつか』に記事が残る。プールの管理保全を担当する平塚市みどり公園・水辺課では「海岸沿いのプールなのですぐに砂がたまってしまって。大変な思いをして掻き出していましたが、当時も同様の悩みだったと聞きます」と話す。
これからの龍城ケ丘
文字通り親子3代、4代と愛されてきた龍城ケ丘プールだが、近年は施設の老朽化が進み改修というよりも再建に等しい手入れが必要とされていた。また、夏の行楽地としての選択肢が増える中で、年間来場者数も大幅に減少、市民からは惜しむ声も挙がったが市では閉鎖を決定した。今後、同地はどうなるのか。同課では「国道134号の拡幅工事が進められる今、市外から来た人も呼べるような場所にすることが求められる。ビーチパークや平塚漁港との連携も含めた検討が必要なのでは」と話す。今年の12月には再整備計画をまとめ、公表する予定という。
現在は水が抜かれ、閑散としている同プール。1つの歴史が終わり、また新たな歴史が始まろうとしている。

【写真】撮影された時期が不明なものもあるが昭和30年代頃撮影された龍城ケ丘プール

【写真2】現在の龍城ケ丘プール 写真提供=平塚市
(参考資料=神奈川県都市部都市政策課『神奈川県都市政策史料』)

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