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源平とその周辺 |2013.09.20

源平とその周辺:第63回 それぞれの決意

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 三種の神器の一つである内侍所(鏡)を納めた唐櫃。それを大事そうに抱えて、一人の女性が海へ飛び込もうとしていた。安徳天皇の乳母の大納言典侍(鎌倉で捕虜となっている重衡の妻・輔子)だ。そこに矢が飛んできた。袴の裾を船に射つけられて、大納言典侍は体勢を崩した。取り押さえて内侍所を手にした武士たちが、鎖をねじ切って中を見ようとしたそのときだ。にわかに目がくらんで鼻血が垂れた。「なんということだ。その内侍所は、凡夫が見てはならないものなのだ」。生け捕られていた平時忠がそう言ったので、元の通りに納められた。
 さて、清盛の弟たちである経盛(経正や敦盛らの父)と教盛(通盛や教経らの父)の兄弟は、鎧の上に碇を背負い、手と手を組んで海へと沈んでいった。資盛、有盛兄弟(重盛の子)と、いとこの行盛も、互いに手を取り合って入水した。平家の総帥である宗盛(清盛と時子の子、知盛の兄)も、当然潔く入水したか、と思われた。しかし彼は、船端に出て途方に暮れていた。親族は皆、決然として次々と海に沈んでいくのに、思い切りがつかないでいたのだ。そのような宗盛の煮え切らぬ態度を情けないと思ってか、侍が傍を通りかかるふりをして宗盛を海に突き落とす。父が海に落ちたので、息子の清宗も後に続いた。一門の人々は鎧を着た上に重い物を抱いたり背負ったりしているから沈むのに、宗盛親子はそのまま入水しただけでなく、泳ぎが達者であるものだからなかなか沈まない。宗盛は我が子が沈んだら自分も、と考えており、清宗の方も父上が沈んだら私も、というつもりでいる。互いに互いを気にしながら泳ぎ回っているうちに、伊勢義盛が漕ぎ寄せた。清宗を引き上げて、続いて宗盛を生け捕る。宗盛の乳母子の景経が伊勢義盛に襲いかかる。堀弥太郎が景経の内兜を射る。ひるんだ景経に堀弥太郎が組み合って、堀の郎等が景経を刺し殺す。宗盛の眼前で、奮闘の末に乳母子の景経は討たれた。
 一方で平家の猛将、教経は源氏の船に乗り移って長刀を振るう。「無益な殺生をして罪をお作りなさいますな。大した相手でもなし」との使いが知盛からきた。教経は、こう受け止めた。「大将軍の義経に組め」、ということか。
【写真】
赤間神宮境内にある、壇ノ浦で敗れた平家一門の墓『七盛塚』(下関市阿弥陀寺町)
写真提供=下関市
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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