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源平とその周辺 |2013.09.27

源平とその周辺:第64回 平家一門の滅亡

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 知盛からの使者が伝えた、「無益な殺生をして罪作りなことをなされるな。大した相手でもないのに」という言葉を「大将軍の義経に組め」と解釈した教経。源氏の船に次々と乗り移り、押し分けていって義経の姿を探し求める。義経がどのような者かを知らないので、立派な武具を身につけた者に目をつけて駆けまわる。なんとか義経を探り当てた教経は、勇んで挑みかかる。しかしさすがの義経もこの教経の猛攻にはかなわないと思ってか、長刀を脇に抱えたまま6mあまりの距離をゆらりと跳び越えて、味方の船に乗り移る。
 義経に逃げられた教経は、「もはやこれまでか」と太刀と長刀を海へ投げ入れる。さらに兜を脱ぎ捨て鎧の草摺(鎧の胴の裾に垂らして腰から下を覆う部分)も引きちぎる。鎧の胴だけを着たまま、髪を振り乱し、大きく手を広げた。そして辺りを圧倒する迫力で叫んだ。「我こそはと思う者は、この教経を生け捕りにして鎌倉へ連れていけ。兵衛佐(頼朝)に言いたいことがある。寄れ、さあ来い!」。しかしこの教経の猛々しさに気圧されて誰も近寄れない。教経に寄る者がないのを見て、土佐国の住人の安芸太郎と次郎の兄弟、その郎等1人が意を決した。義経の前に進み出た太郎が言う。「誰も寄りつかないのが残念ですので、組みまいらせようと存じます。どうか故郷に残してきた2歳の子供にお目をかけていただきたく存じます」と、後のことを頼んだ。義経から「よくぞ言った。子孫のことについては心配無用だ」との返答を得て、主従3人で教経に挑みかかる。教経は先に進んだ郎等を海へと蹴り入れた。そして太郎を左脇に、次郎を右脇に抱えてきつく締め付けて言った。「さあお前たち、我が冥途への旅の供をせよ!」。そして海へざぶりと身を投げて、沈んでいったのだった。
 「見るべき程の事はすべて見果てた」と、平家一門の滅亡を見届けた知盛は、乳母子とともに鎧を2領着て、しっかりと手を組みあって海へと入った。海上には赤い旗が紅葉を散らしたように浮かび、誰をも乗せぬ船が波に揺れて漂う。この平家滅亡の地で、「耳なし芳一」が平家武者の怨霊たちに一門の栄枯盛衰の物語を語ったとされるのは、もう少し先の話である。
【写真】和布刈(めかり)公園内にある、高さ3m長さ44mという国内最大級の有田焼でつくられた壁画『源平壇之浦合戦絵巻』(北九州市門司区大字門司)写真提供=北九州市
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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