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源平とその周辺 |2013.04.12

源平とその周辺:第45回 維盛の行方

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 美貌の貴公子として知られた平維盛は、清盛の嫡孫として将来を期待されていた。しかし、大将として出陣した富士川や倶利伽羅峠での戦いでは大敗を喫して、平家都落ちのきっかけを作ってしまう。平家の嫡流である、とはいっても父の重盛はすでになく、今の平家を統括しているのは叔父の宗盛だ。維盛の心を占めているのは、源氏との戦いよりも、都に残してきた妻子のこと。嫡子の六代には斎藤実盛の息子たちがついてくれているが、心配だ。妻子への思慕の情にとらわれて、もはや平家の人々と行動を共にすることはできなくなってしまった維盛は、離脱。だからといって都に戻るのは危険だ。叔父の重衡のように生き恥をさらすなど耐えられない。高野山で、出家しよう。
 高野山には、斎藤時頼(滝口入道)がいた。彼は、かつての父(重盛)の従者で、宮中を警護する滝口の武士に抜擢されていたこともある。以前は衣服もきちんと着こなして優美であった時頼が、今は痩せて黒い袈裟を身にまとっている。維盛は強く心をうたれて、仏道修行に専念する彼を羨ましくも思った。若くして時頼が出家した理由、それは恋人の横笛(建礼門院に仕える女房)との関係を父親に強く反対されたためだった。横笛との愛をとるか、父の命令に従うか。その狭間で懊悩した時頼は出家して嵯峨へ。だが横笛が訪れてきてしまう。「何かの間違いでしょう」と人を介して会わずに帰させたが、横笛の来訪に動揺してしまった時頼は、思いを断ち切るために高野山へのぼることにしたのだ。横笛は悲しみのあまり、ほどなくして亡くなったという。ちなみに、平塚にゆかりのある高山樗牛(明治時代)の『滝口入道』は、この2人の悲恋を題材にしている。
 高野山で滝口入道に会った維盛は出家してのち、熊野を参詣する。那智籠りの僧の中に維盛を見知っている者がいた。その僧は、「お気の毒に。後白河院の50歳の祝宴で、維盛様が桜を頭に挿して青海波(雅楽の曲名)を舞われたときには、その美しいお姿や風に翻る袖が天を照らし、地を輝かすほどであったのに」と、涙を流した。平家嫡流の華麗なりし貴公子、維盛は那智の沖へと向かう。海に身を投じるために。
【写真】 平成17年、旧杏雲堂平塚病院から高浜公園へ移された「高山樗牛記念碑」(高浜台1-17)
新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

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