カテゴリーから選ぶ
カテゴリーから選ぶ
源平とその周辺 |2013.06.21

源平とその周辺:第54回 義経、屋島へ

タグ


 逆櫓を知らなかった義経に、景時は説明した。「馬は駆けようと思えば駆け、退こうと思えば左にも右にも方向転換しやすいものです。しかし船はとっさには向きを変えられませんから、船尾と船首、左右にも櫓(水をかいて船を進めるための道具)をたてて、自在に操れるようにしたいものです」。義経は言い返した。「出陣に先だって、縁起の悪いことをいう。戦では、退くまいと思っていても形勢が悪ければ敵に後ろを見せてしまうものなのに、はじめから逃げ支度をするというのか。他の者の船には逆櫓でも何でもつけるがよい。義経の船には必要ない」。一触即発の事態となった。景時は憤る。軍議においてよかれと思って自分の意見を述べただけなのに、なぜ恥をかかせられなければならないのだ。自分の主人は義経ではない、頼朝様ただひとりなのに――。梶原を軽視した代償はあまりに大きかった。だがこのときの義経にはまだそこまで思いが至らない。
 一刻も早く四国へ渡りたい義経は、わずかな兵を率いて暴風のなか無理やり出航させる。水夫たちをせかしてなんとか短時間で阿波(徳島県)に到着。現地では源氏方に寝返った近藤親家が義経の案内役をつとめることになった。義経が「ここは何という所だ」と尋ねると、「勝浦」という。義経はめでたい名前に幸先がよいと喜んだ。そして親家から、平家の有力武将の田口(田内)教良が伊予攻めに出ているため、今は屋島(香川県)を守備する兵が少ないなどの情報を得る。義経はまず阿波の桜庭(桜間)良遠を攻め落とした。源氏の本隊が到着する前に平家との決着をつけてしまおうと先を急ぐ。屋島の戦いに勝つためには、大軍の襲来に見せかけて平家の背後を突くことが肝要だ。干潮時には屋島を囲む海は馬で渡れる浅さになる、と親家から聞いた。一気に攻めよう。
 義経軍の急襲に、平家は慌てた。高松の浦から燃えあがる火。駆け寄せる馬の蹴りあげる水しぶき。源氏軍の勢いに狼狽した平家は、船で海上に避難した。真っ先に躍り出て名のりをあげる義経。内裏や御所から火の手があがる。船上で宗盛は気づく。相手の軍勢は、思ったよりも少ないではないか。平家は、反撃することにした。
【写真】
瀬戸内海に突きだした巨大な溶岩台地、屋島(香川県高松市屋島)
写真提供=高松市
著者:新村 衣里子
■プロフィール
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。元平塚市市民アナウンサー。平成16年ふるさと歴史シンポジウム「虎女と曽我兄弟」でコーディネーターをつとめる。『大磯町史11別編ダイジェスト版おおいその歴史』では中世の一部を担当。成蹊大学非常勤講師。

タグ
facebookシェア twitterシェア lineで送る
オンラインマガジン

湘南ローカル情報を日々更新中!

いますぐ使える 最新クーポン

色々な所で使えるお得なクーポンを発行中!

その他のクーポンをもっと見る
湘南ジャーナルDB 湘南のお店情報をまとめて掲載!
湘南ジャーナル まちナビ 最新情報

湘南のお店情報をまとめて掲載!

スタッフブログ

編集部情報を毎週更新でお届けします。

運営からのお知らせ

PAGE TOP