ユニフォームで振り返る
湘南ベルマーレ30年史
湘南ベルマーレはJリーグ加盟30周年!
“あたらしいうみへ”と漕ぎ出そうとする今年まで、山あり谷あり、いろいろなことがありました。
その当時を思い起こすのにうってつけなのは、なんといってもその年の象徴でもあるユニフォーム!
ベルマーレフリーク・カナサシノリヒロさんの協力のもと、30年分のユニフォームが大集合!
〜1993
ライバル磐田を破りJFL1部優勝
Jリーグ正会員に加盟決定!
メインスタンド以外は芝生席だったあの頃、13番岩本テルに釘付け。マチャ(森正明県議)さん現役最後の背番号は0。(濵田)
1994-1996
湘南の暴れん坊としてリーグを席巻!
初代1st、通称“メロン”のレプリカはラスカで購入。当時の10番ベッチーニョは大の生ビール好き。ヒデの加入もこの頃。(濵田)
1995
天皇杯優勝、 さらにアジアカップ ウィナーズカップ も優勝!
1997-1998
チームから4人がW杯へ 中田の海外挑戦も
一番好きなモデル。ヒデ目当てにゴール裏がダッフルコート女子だらけだった98年開幕戦は森進一が国歌斉唱に。(濵田)
1999
ベルマーレ平塚、消滅危機
市民クラブとして再生を誓う
親会社撤退の報道から存続危機を乗り越えようと平塚の街が一つになった年。 「当たり前にあると思うなベルマーレ」。
2000〜2005
市民クラブとして再出発も結果伴わず、暗黒時代へ
2000
2001
2002
2003
2004
2005
今もなお支援を続ける産能大さんの初年度が04年。Bloombergが胸スポンサーだった年も懐かしい。サーフブランドPIKOも湘南ならでは。
2000年の9番はプリンス高田保則。パールロードのイベントで一緒にGLAYのHOWEVERを歌ったのは良い思い出。(濵田)
2006〜2008
暗い闇に差す一筋の光
湘南スタイルの礎を築く
2006
2007
2008
柏の昇格を目の前で決められた06年最終節、間違いなくここがターニングポイント。石原直樹やアジエルが闇を切り裂き、J1まであと一歩のところまで。(濵田)
青を基調としたデザインが多かった2000年代前半から、黄緑の比率が多くなるにつれ、J1昇格が現実味を帯びていった印象。A-LINE社製は雨に打たれると、重くて大変という声もあったが、七夕記念ユニフォームという特別仕様3rdユニフォームの功績は大きい。
2009−2011
反町康治監督のもと劇的勝利でJ1昇格!
2009
2010
2011
2009年のアウェー甲府戦、89分の坂本紘司の決勝ゴールはベルマーレ史に残るワンシーン。今噛んでもめちゃめちゃ味がします。(名久井)
J1の壁は厚く1年で降格。今振り返ればだが、J2では強者でもJ1に挑む体制は整っていなかった。けが人に泣かされた10年、11年だったか。
2012~2017
曺貴裁監督による“湘南スタイル”の確立
2012
2013
2014
2015
2016
2017
昇格、降格、J2優勝、残留、降格、J2優勝と激動の時期。荒削りながらも縦に速いワクワクするサッカーでした。(名久井)
今では日本代表として堂々たるプレーを見せる遠藤航が初招集されたのは2015年。クラブからA代表への選出は17年ぶりだった。
2018
YBCルヴァンカップ優勝!
クラブ創立50周年の節目に
ルヴァン決勝はもちろん取材……ではなく、いちサポーターとしてゴール裏で声を張り上げてました。歴史的瞬間!(名久井)
藤和不動産サッカー部として創立から50周年。特定の親会社をもたなかった湘南がRIZAP傘下になったのもこの年。
2019〜2023
“あたらしいうみへ”
目指すは上位、そしてACL!
2019
2020
2021
2022
2023
2020年、声のないスタジアムの異質さといったら。模索しながらチームを支えるサポーターの姿も印象的でした。(名久井)
2017年に昇格して以降はなんとかJ1に定着。リーグ加入30周年を迎える今年、 6年目のJ1シーズンに挑戦するとともに“あたらしいうみへ“進む。
ユニフォームの持ち主は…
カナサシ ノリヒロさん
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